なつくとたのもしいそんざいです
※パラレル、幼馴染。








「しくじったなぁ」

ぽつりと呟き、臨也は月のかかる空を見上げた。
じわりじわりと這い寄ってくる死の気配に身震いし、重たげに瞼を閉じる。
濃厚に漂う鉄錆の匂いが路地裏の一角を満たしていた。
臨也の黒いシャツの腹部、そこをさらに黒く染める赤い液体は、止まりそうにない。

「ホント、しくじった」

ため息ひとつ。闇医者に連絡しようにも携帯はすでにどこかで残骸に成り果てていた。
逃げる傍らで相手に情報を与える可能性のあるそれを辛うじて破壊できたのは奇跡に近い。

「鈍ったのかな」

独り言を続けて、臨也は瞼を無理やり押し上げる。
命の絡む仕事で油断した自分が悪い。そう自嘲して、臨也はふるりと身体を震わせた。
血液を失い体温の下がった身体はもう言うことを聞きそうにない。圧倒的に熱量が不足している。
だがそんな危機的状況とは裏腹に、奇妙なほど冷静に臨也は刻み込まれたルーチンの一環として自身に診断を下す。

「これは死ぬね」

ははっと笑って、また空を見上げて。
臨也は小さく小さく、ひどく愛おしそうに「シズちゃん」と呟いた。
通りがかる人のいない路地裏。もし来るとしたらそれは臨也を追いかけている人間だけだろう。
だから、臨也は極めて客観的に自身の死を確信していた。
いつか来るとは思っていた瞬間の唐突な訪れに笑うしかない。

「シズちゃん怒るかな、怒るよね…」

死にたくないなぁ。もっとシズちゃんとしたいこといっぱいあったのに。
後悔の念の込められた響きが掠れて消える。
無駄な足掻きと分かっていても言うことを聞かない身体を動かそうともがいて、その度に零れる血液がさらに体温を奪っていく。
寄りかかっていた壁から地面へ倒れ込んで。急激に薄れ始めた視界を閉ざして。
力の抜けた四肢を投げ出して、臨也はとうとう足掻くことを諦めて意識を手放した。








目を開けた臨也の視界に見覚えの無い天井が映った。
「あ、目が覚めたかい?」
問われて視線をめぐらせれば見知った顔がひとつ。
「しんら」
かすれた声を出す臨也に友人の闇医者は苦笑して、額に当てた布を取り替える。

「今回はかなり危なかったよ。あとちょっと遅かったら君のその無駄に整ってるくせに反吐が出そうな顔も見納めだったかもね」
「…しんら、どうして」
「どうしてだと思う?」

面白そうに弱った臨也を観察する新羅に、臨也はムッとした表情を見せた。
そのまま起き上がろうと身じろいだところで、

「点滴が終わるまでちゃんと寝ててよ」

釘を刺され諦めて力を抜く。

「新羅、シズちゃんは?」
「ああ、やっぱり分かるのかい?」
「…分かるよ。シズちゃんのことならね」

何故そんな当たり前のことを聞くのだと不思議そうな顔をする臨也に笑ってから、新羅は、
「静雄が君を見つけてすぐここにつれて来てくれたから助かったんだよ。まったく、静雄の嗅覚はすごいとしか言いようがないね」
やっぱり解剖させて欲しいなぁと面白そうに口にする。
「シズちゃんはいつだって俺を必ず見つけてくれるからね。だから、俺は死体になっててもシズちゃんのところに必ず帰れるって確信してる」
「そんな確信はしなくていいからもう少し気をつけて行動したら?ここに来た時の静雄の顔、今の君に見せてやりたいよ」
「ん…そうだね。今度からは気をつけるよ」

反省の色のない臨也に、新羅は静雄を呼ぶために部屋を出ようとして、ふと思い出して振り返った。
「静雄、相当怒ってたから覚悟しておいたほうがいいよ」
言うだけ言って、聞きたくなかったと言わんばかりに顔を顰める臨也を置いて今度こそ出て行く。



そして、そう待たないうちに細身だが長身の男が入ってきた。
そのまま臨也の横たわる寝台のすぐ側まで歩き、じっと顔を見下ろしてくる。だが、一向に口を開く気配は無い。

「…シズちゃん、あのさ」

何か言おうとして、臨也も結局口をつぐんだ。
何を言えばいいの分からなかった。
助けてもらったことに礼を言いたいのか、それとも、約束を破りそうになったことを謝りたいのか。臨也自身分からない。
ただ、無性に目の前の相手を抱き締めて、そして抱き返して欲しかった。

「シズちゃん」

動きの鈍い身体を叱咤して手を伸ばす。すぐにその腕を握られて、抱き起こされた。
触れたかった暖かい体温に、臨也は小さく満足げに息をつく。

「死んだかと思った」
「俺もそう思ったよ」
「生きてる、よな?」
「ここが天国じゃないなら生きてるね」
「手前天国にいけると思ってんのかよ、あつかましいぞ」
「ははっ、確かに。でもまあ俺はそんなもの信じちゃいないけどね」
「ちっと黙れ」

ぐっと寄せられて傷が引き攣れて痛んだが、抗議する前に口を塞がれてしまう。

「…ん、う」

痛む傷に眉を顰める臨也に気付いていたが、静雄は自業自得と片付けて開放する気はなかった。
ちゅっと軽く覆う程度だった口付けは、お互い離し難くて、最後にはくちゅりといやらしい音を立てるまで続けられた。

「…は、しず、ちゃん」

腕の中に閉じ込めた相手に息を乱しながら呼ばれて、静雄は目を細め頬を摺り寄せる。

「ノミ蟲の分際でケガなんてしてんじゃねぇよ」
「うわ理不尽」

静雄の言葉に臨也は乾いた笑いを浮かべる。だが、一応怒られる覚悟はあったのでそれ以上言い返すこともなく素直に聞く体勢に入っている。
だから、静雄も素直に気持ちを口にした。

「…ぶっ倒れてる手前見た時、目の前が真っ赤になった」
「よく我慢できたねぇ」
「手前を運ぶのが先だったから、なんとかな。でも、手前が死ぬんじゃないかって考えたらすごく怖かった」
「ごめんね。俺が油断してたから」
「もう二度とやられんな」

切実な声で祈るように言われて臨也は一瞬真顔になって目を見張り、それから重い空気を払拭するようにくすくすと笑う。

「気をつけるよ。ベッド以外でシズちゃんを泣かせたくないしね」
でもさ。と臨也は続ける。
「もし俺がケガをして動けなくなってたら、助けに来てね」
「手前はどういうわけか妙に迂闊だからな」
意図的に空気を変えようとする臨也に付き合って、静雄も声の調子を若干軽いものに変えて応じる。
「だから、どうしようもねえ時は頑張って時間稼ぎでもしとけ」
それでも残る呆れと怒りの混じった感情をため息と共に無理やり追い出して。
そして、静雄は今は腕の中で大人しくしている迂闊で愚かで救いようのない幼馴染ににやりと笑って宣言した。


「手前がケガをする前に助けに行ってやるよ」












※死にかけても懲りない人と振り回されて怒って苛立って諦めて、終には開き直った人のはなし。
最後のところ、臨也は空気を読んで「いや、現実問題無理だと思う」と心の中で言うだけにとどめてました。実際そんな状況で助けなんて待ってられないと思うよ。


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