邂逅
『けもみみパラレル』前日譚。









一目見た瞬間に、たぶん臨也は恋に落ちていた。
それまで一目惚れなど馬鹿馬鹿しいと笑っていただけに、とても衝撃的だった。
大嫌いなはずの狼族。だが、酷く惹かれて、臨也はその姿を無意識に目で追っていた。
それが、最初。





「ッ!」

顔の横を過ぎ去った拳。
猫族の反射神経でそれを避けた臨也は、ひゅうと口笛を吹く。
成程、聞いていた通りだ。

「ははっ、すごいなぁ」

くつりと笑って、迫る第二撃を受け流す。
大振りで洗練されているとは到底言えない動きだが、破壊力は空気を通して十分伝わってきた。
狼にあるまじき力…いや、それどころか熊族――グリズリーでもここまでの膂力は持ち得ないだろう。
目の前の狼族の力をそう分析して、臨也は低く笑う。

「…でも、何かな?変な感じだ」

ちりちりと神経を這うような奇妙な感覚。それに首を傾げながら攻撃を避けて跳躍する。
目の前で怒りを露わにする狼族は臨也が一目ぼれした相手だった。
――平和島静雄。変わり者の友人の小学校時代の友人だという男。
怒らせるようなことをしたつもりはないがどうやら嫌われたらしい。
そう判断し、容赦なく繰り出される攻撃に溜息をついて、臨也は仕方ないかと首を振った。
臨也は嫌われるのには慣れていたし、別にこの狼族と親しくしようなどとは欠片も思っていない。
惚れた相手であろうがなんだろうが、臨也は自分の力を正しく理解していたから多少の例外はあれど誰かの側に居ようなどとは思っていなかった。

「う、わっ」

ギリギリを掠めた物体に頬を引き攣らせる。投げられたのはゴールポストだ。
つくづくあり得ない。
そう思いながら、臨也は冷静に回りに他の誰もいないことを確かめる。
薄情な友人はさっさと避難したらしい。他はだいぶ遠く離れた。
臨也の持つ唯一の特殊能力の有効範囲は特にないが、見られた場合の処理が面倒なのでできれば目撃者はいないのが望ましいのだ。
息を小さく、だが深く吸い込む。
そうして、

「止まれ」

吐き出した言葉は、静雄の行動の全てを抑え込むはずだったのだ。
















繰り出された拳は止まることなく、臨也の頬をかする。
それに一瞬きょとんとして。

「…ああ、そういうことか」

そう呟いて、臨也は納得したというように頷いた。
神経を刺激する奇妙な感覚の正体。それが天敵に出会ったが故の警鐘だったのだと分かってすっきりする。
自分の能力が効かない、この世でおそらく唯一の存在。
いつ、何故生まれるのかも分からない己の天敵。金龍の支配能力を完全に殺せる謎に満ちたイキモノ。知識としては知っていたが、本当にいるとは思っていなかった。それが正直な感想だった。
「…しかし、これは参ったな」
逃げるにせよ、もう少し距離をとらねば危険だと判断し舌打ちする。
目の前の狼族は正しく臨也の天敵だ。弁を弄しても止まらないだろうし、能力は効かない。しかもあり得ない怪力とくれば勝てる気はしなかった。

「ねぇシズちゃん!」
「その名前で呼ぶんじゃねぇえええ!」
「ははっ…これは話し合いは出来そうにないなぁ」

ゆらゆらと尻尾を動かしながら、臨也はこの場から脱出する機会を窺う。
だが、隙なく構えるその一方で、思考を巡らせるのも止めはしない。まさか、一目惚れした相手が狼で、しかもある意味運命の相手とは。と、そう考えて、ふと思いもよらなかった事実に作為的なものを感じて、臨也は眉を寄せた。

『金龍の天敵――龍喰らいは、世界に望まれて生まれ出でる。』

生まれつき、物心ついた瞬間から知っているその言葉を思い起こして、まさかねと思いつつも何処か納得していた。
ただ、それはまるで、いつだって自分の思い通りにならないことなどなかった世界が初めて見せた抵抗のように思えて。
臨也はふっと表情を緩めて、荒い息を吐きながら自分を睨み据える静雄を見る。
もしそうであるならば、まだ自分は完全に期待を捨てなくてもいいのかもしれない。
そう考えて、まだまだこの世界も捨てたものじゃないのかもね、と呟いて。
黒猫の姿をしたケモノは天敵である男の姿を熱を持った眼差しで見詰めて、それはそれは愉しそうに口元を歪めた。





※この時点ではシズ←イザ(無意識ではたぶんシズ⇔イザ)でした。