ケモノの王様 9
『けもみみパラレル』続編小ネタ連載。









折原臨也は、銀龍と黒猫の間に生まれた子供だった。
もとより確率的には猫が生まれる可能性の方が遥かに高いため、両親は臨也が猫族であろうとも気にしたりしなかったし、とても可愛がってくれていたと思う。
だが、そんな両親にも、後から生まれた妹たちにも、臨也は自分の秘密を教えたりはしなかった。

『そうか、君がその世で最後の黄金竜なんだな』

そう言い当てたのはただ一人。今は亡き九十九屋の父親――金色を持って生まれた最後の龍族だった。
外見は猫族の臨也がたったひとつだけ持って生まれた力。それを見抜いた彼は、幼い臨也にとって唯一心を許せる相手だった。



「お前ら、帰っていいよ。で、もう二度と九十九屋真一の命令に従わないこと。あと、俺と俺の力については誰にも話さないこと。いいね?」
臨也が発する言葉に、男たちはこくこくと頷く。
だが別に意思確認をする必要はないのだ。一度した命令は潜在意識の奥深くに刷り込まれて、決して逆らうことなど出来ないのだから。
支配――それが、臨也が唯一持っている龍の力。
生物も無生物も問わず己の望むままに従えてしまえる、金色を宿す龍だけが持つはずの力だった。

「…おいおい、あいつらは俺の子飼いだったんだけどな?」
「知らない。シズちゃんに手を出したんだし、むしろこれくらいで済んで良かったと思うべきだね」

操られるようにふらふらと行ってしまう男たちを見送って。
九十九屋は溜息をついた。
やれやれ、と思う。九十九屋は、ある意味最強の力を持ちながら、それを使うことを望まない臨也をずっと歯がゆく思っていた。その力さえ使えば、本家だろうが何だろうが、臨也に思い通りに出来ないことなど何もないというのに、と。
だが、無自覚に口にするだけで人の意思を変えてしまえる黒猫は、ただ沈黙を保ち、普通のどこにでもいる猫のふりをし続けた。相手の本心すら変えてしまえる彼は、“誰も信じない”“誰も好きにならない”と頑なに心を閉ざし続けていた。

「…なるほど、な」

平和島静雄はそんな臨也が見つけた、この世でたったひとり自分に従わない人間なのだ。
しかも独占欲が強くて誰を敵に回すことも構わない、規格外の力を持った人間。なるほど。この存在が傍らにあれば、九十九屋とその父親が見た未来はおそらく現実になる。――もうひとつの未来は、回避されるだろう。

「何?まだ何かする気なら、お前でも許さないよ?」
警戒する黒猫。それを抱き締めて、きつく九十九屋を睨む狼に苦笑が漏れる。
もとより九十九屋は静雄を試そうとしたのだ。
龍を敵にしてでも臨也と一緒に居る気はあるのか。どの程度の力と覚悟を持つのか。

――及第点だ。まだまだ甘いけどな。

予想より早く臨也が戻って来てしまったのが誤算だが、まあ己の力を嫌っていた臨也が静雄の為ならば迷わず実行に移せると分かったのは収穫だろう。
そう考えて、溜息を一つ。

「折原」
「何?」
「結婚式には呼べよ」

唯一自由になる表情筋を駆使してにっこり笑って言ってやれば。
僅かな間を空けて、臨也の尻尾が一気にぼふんと膨らむ。

「誰が呼ぶか!!」

顔を真っ赤にして叫ぶ黒猫に声を上げて笑って。
九十九屋は晴れ晴れした気分で目を細めた。
















「ああもう!とにかく次シズちゃんに手を出したら許さないからね!…シズちゃん、行こ」

笑う九十九屋に怒鳴って、それからきゅっと静雄の手を握って、臨也がそう言う。

「…おう」
「何?」
「ああ、いや…別に何でもねぇよ」

薄い猫耳に指先で触れると嫌そうな顔。
それを見ながら、静雄は息を吐き出した。
九十九屋が敵であるという認識を改める気はないが、聞いておきたいことがいくつかあった。
だが、臨也の機嫌の悪さを考えると今それを言い出すのは躊躇われる。
仕方ないか、と諦めて。

「行くか」
「うん」

こくりと頷いて早くとばかりに手を引く臨也について静雄も歩き出そうとして――後ろから声がかけられた。

「おいおい、折原。俺はこのままか?」

九十九屋の言葉にそういや命令の解除をしてなかったか、と思った静雄だったが、臨也はちっと舌打ちする。
どうやらわざとそのままにしていこうとしていたらしい。

「少しそのまま反省してたらいいんじゃないの」
「指一本動かせないまま放置はさすがに困る」
「勝手に困れ」

尻尾の毛を軽く逆立てて唸る臨也。
それに溜息をついて、静雄はしょうがないなと首を振った。

「臨也、解除してやれ」
「えー…だってこいつが悪いのに」
「さすがにこんなところに置いたままってわけにはいかねぇだろうが。またわざわざ解除しに来る気か手前は」
「ああそれもそうか」

なるほどと納得して、ふっと小さく深く呼吸してから、
「じゃあシズちゃんに免じて特別に解除してあげるよ」
と、臨也は九十九屋に向かって言う。
それを聞き終わったと同時、『動くな』という命令が無効になったことを確かめるように、九十九屋が手を何度か握る動作をした。

「ホントは今日一日そのままにしてやるつもりだったんだから、シズちゃんに感謝しなよ」

あくまで真顔でそう言う臨也に、九十九屋はくっと笑って静雄を見た。

「ははっ、助かったよ」
「…手前のためじゃねぇよ」

むっすりとした顔で応じる静雄は、じゃあなと言ってさっさと臨也を連れて背を向ける。
臨也が九十九屋に会うのが気に入らないのだと、そう思う気持ちを見透かされているようで不愉快だった。
そんな静雄の頭の中に、直接声が響く。

(今日の夜、9時に学校の前に来い。色々話しておきたいことがある。ああ、安心しろ。もう臨也を連れて行く気はないさ…今のところは、だが)

念話が出来るらしい男の“声”に。
静雄はちらりと後ろを振り返って、小さく臨也に気付かれないように頷いた。
それは、臨也についてよく知っているらしい男から聞きたいことも、聞いておくべきこともあったからだった。
















翌日。



「シズちゃん、どうしたのさ?」
後ろ抱きに臨也を抱えたままの静雄に、臨也は困惑した表情で振り返る。
その薄い猫耳に唇を落として、静雄は小さく何でもないと頭を振った。

――折原臨也は、いずれ―――。

あの後、昨日の夜。
静雄は九十九屋と会った。
そして、どこかで予想していた事実を突きつけられた。
それが、どうしても頭から離れなかった。
龍族という種が持つ特殊な事情は知っていた。だが、どこかで軽く見ていたのだ。龍も所詮は自分たちと同じ人間だと。
その前提を覆しかねない真実。それが、どうしようもなく、

「重いな」

呟きは無意識で。だが、至近距離の臨也にそれが拾えないはずもなく。
「何が?」
と問われて返答に困る。
どう言えばいいのか。そもそも、それでも自分は臨也を手放す気などないのだと、どうすればきちんと伝えられるのか。
自身の口がうまくないと自覚している静雄は眉を寄せて考えた。

「シズちゃん」
「…おう」
「あの後さ…俺の家から帰った後。君、九十九屋に会ったんだろ?」
「……気付いてたのか」
「そりゃあ、ね」

苦笑して、臨也はくるりと向きを変えて、体勢を向かい合うものへと変える。

「聞いたんだろ?俺のあの力がどういうものか」
「…ああ」
「怖い?」
「んなわけねぇだろ。手前は手前だし、それに、俺の気持ちは変わってねぇ」
「うん」

静雄の言葉に嬉しそうに頬を緩めて笑って。
臨也は静雄の名前を呼んだ。

「シズちゃん…静雄」
「……」
「うわ、顔真っ赤。可愛いなぁシズちゃん」
「うるせ」

顔を逸らして拗ねた声を出す静雄に、臨也は今度は声を出してひとしきり笑った。
それから、

「シズちゃん、卒業したら俺と結婚してよ」

言葉とともにカプリと一回耳を噛まれる。
かつて静雄にされたプロポーズ。
それを今度は自分からした臨也に、静雄は何度か目を瞬かせて、それからそれでは足りないとばかりに自分の頬を引っ張ってみる。
そして、ようやく納得したのか臨也に視線を合わせて、破顔した。
















そっと愛しい黒猫の髪を撫でて、静雄は口を開く。

「本当にいいんだな?」
「俺はシズちゃんがいいんだよ。だから、誰が反対しても押し切る」
「分かった」

頷いて、一旦言葉を切って。
独特な色の瞳を見ながら顔を近づけて耳を軽く齧ってから。改めて言う。

「臨也、俺からももう一度言う。結婚してくれ」
「よろこんで」

シズちゃん大好き!と抱きつく臨也を抱き締め返して、静雄も嬉しさで頬を緩める。
そして、その暖かな体温を感じながら、別に大丈夫だと思うんだよな、と改めて思った。

臨也の力は、金色の龍の中でも一時代に一人にしか現れない力だと九十九屋は言った。
予知能力を持つ九十九屋と九十九屋の父親はこの先200年の間に金色が生まれることはないと予知していた。だから決して現れないはずの力だった。
だが、その力は予想もしないものに宿って生まれた。龍の血を引く黒猫。龍でもなく金色でもない子供に宿っていたのだ。
九十九屋の父親以外誰もそのことに気付かぬまま、臨也は育ったという。だが無自覚に発揮される力はすべて臨也に都合が良いように世界を回す。
臨也の性格を考えれば、すごく幼い頃は別としても、すべてが思い通りになってしまう世界など望んでいなかったことは想像に容易い。彼は自分の予想を超えることをしでかしたり思惑を外れることも含めて人間を愛しているのだから。
だからこそ、臨也はそれに気付いてからは完全に自分と他人の間に線を引いた。力を意識的にしか使えないように自分に暗示までかけて、それでも臨也は一人でいることを選んだ。その理由は。

「よく聞け馬鹿猫」
「ちょっと待ってよ。馬鹿って何さ馬鹿って」
「うるせぇいいから聞け」
「……」
「俺は手前の言うことなんざ聞いてやらねぇ」
「何?いきなり関白宣言?」
「違うっつーの。でも、代わりに一人にもしねぇからよ」
それで我慢しとけ。
そう告げると、臨也はぱたりと尻尾を床に落とした。
きょとんと見上げる顔が、次第に困ったような、喜ぶような、複雑な表情へと代わっていく。

「…ばっかじゃないの」

そう言って俯く顔はたぶん真っ赤だ。
寂しがりのくせに相手の行動が自分が望んだからではと考えて信用できなくて、一人を選ぶようなそんな馬鹿猫を抱き締め直して、静雄はやっぱねぇなと笑う。
九十九屋とその父親の見たという最悪の『可能性の未来』。それをこの猫族が起こすことはない。

――させねぇよ。

万に一つ、そんな未来が現実になりそうになったら、さっさと掻っ攫って、どこか誰もいないところで二人で隠遁生活でも送ってやる。そう考えて、静雄はそれも悪くないと一人満足げに頷いた。

「シズちゃん?」
「ん、何でもねぇよ」

黙ってしまった静雄に不思議そうな顔をする臨也。
その髪に指を滑らせながら柔らかい唇を食んで。
臨也に対しては真実最強であるらしい狼族はパタパタと尻尾を振った。

「機嫌いいねぇ」
「そりゃ、手前からプロポーズされるとは思ってなかったからな」
「………」

にやりと笑って言ってやれば渋い顔。静雄は笑いを消さぬまま伏せられた猫耳を弄ろうと手を伸ばして。
その時、ふと、思い出した。

「あ、婚約指輪」

弟の助言は的確だ。卒業と同時に結婚するにしても、まだほぼあと一年ある。自分のものだという分かりやすい目印は必要だ。
さすが幽だ。と弟を脳内で褒め称えた静雄は、とりあえずバイトをせねばと考える。

まさか、臨也に自分を構う時間が減るという可愛いようなそうでもないような理由でそれを妨害されて、最終的に一ヵ月後、自分の手で作った歪なリングを贈ることになるとは、まだ静雄には知りようもないことであった。