クロネコ 日常編
『クロネコ』設定。後日談より少し前。
















床に座ったまま、真剣にパソコンの画面を見つめる黒猫をぼんやりと見るとはなしに見つめて。
静雄は、んー…と小さく首を傾げた。

ピンと真っ直ぐに立った耳。
ゆらゆら揺れる長い尻尾。

どこからどう見ても猫だというのに、時折その小さな黒い前足がキーボードを叩くのが正直不自然すぎる。
が、どうやら本人――本猫?は、気にしていない様子だ。

「なぁ臨也」
「…ん、なぁに?シズちゃん」
「…………」

人型になってやった方が楽なんじゃないのか?と口にしようとして、結局静雄は何も言わずに口を閉じた。
本人が気にしていないならいいか、とか。これはこれで可愛いか、とか。
まあ、一瞬の間に色々思ったわけである。
振り返った黒猫――臨也はといえば、そんな静雄に不思議そうに瞬きして、こてんと首を傾げてみせた。

「シズちゃん?」
「…何でもねぇ」
「そう?」

ふうんと納得したのかしていないのか。判然としない返事を返して臨也はまたパソコンへと向き直る。
自分の言動に興味がないと言わんばかりのその様子が、静雄の機嫌を僅かに傾けた。
情報屋なんていう訳の分からない仕事を始めたらしい黒猫は、いつの間にか顧客を掴んでそれなりに儲けているらしい。
最近では暇さえあればパソコンに向かっていて、静雄としては余り面白くなかった。
別にやるなとは言わないが、それなりに不満はある。
…有体に言えば、静雄は今現在目の前の黒猫の意識を占めている諸々の事象に嫉妬しているわけだ。
それを自覚しているから、静雄としてはもう口を噤んで自分の馬鹿馬鹿しい思考を外へ漏らさないように努めるしかない。
視線を床に移して小さく溜息を吐く。

と。ふと、臨也がくすりと笑った気がした。
「?」
気のせいかと思いつつ、だが気になって顔を上げると。
いつの間にか、黒猫はその姿を人のものに変えていた。
相変わらず――性格の悪さに目を瞑れば――猫の姿であっても人間の姿であっても、きれいだと素直に感嘆できる容姿に一瞬ドキリとする。
これだけは変わらない人間とは違う耳と尻尾を微かに動かしながら静雄を見つめる臨也に、 「…臨也?」
何だ?と思って首を傾げつつ名を呼ぶが、相手は応えない。
面白そうに目を細めて口の端を吊り上げてみせただけだ。

「…おい?」

パソコンに触れて何やら弄ってから、人に化けた黒猫は流れるような動作で立ち上がる。
ゆったりとした動作で歩み寄ってくる相手に、静雄は思わず渋面を作った。
臨也が何を考えてこんな行動をしているのか、その笑みだけで察するには十分だった。

「………」

予想通り、静雄の側まで歩いてきた臨也は床に座る静雄に合わせて屈みこむ。
そしてころりと横になって、静雄の膝の上に頭を乗せて。
見上げてくる目はやはり楽しげに細められていた。
チクショウ…ばれてたのかよ。そう思う。
静雄の不満も嫉妬も、この相手にはお見通しであったらしい。

「別に心を読んだりはしてないよ?」
「…んなのは、分かってる」

この黒猫は感情の波とやらを食料とする生き物だが、普段はわざわざ感情を読むようなことはしない。
分からないからこそ面白いなどとのたまうし、何より、普段から読んでいたなら静雄がこの黒猫に片想いしていたあの頃の鈍さは説明が付かない。…それに、今だって決して鋭いとは言えないのだ。現に、今静雄が不満や嫉妬とは別に抱いた感情には気づいた気配もない。

「シズちゃんは割と分かりやすいからねぇ」
「…煩ぇ」

でも分かってねぇじゃねぇか、とは口にしない。
口にしたところでこの黒猫の鈍さが変わるわけでないし、意味がない。
「機嫌悪いねぇ」
「…悪くねぇ」
「ふぅん…」
より機嫌が傾いたのは伝わったらしく、ぱたりぱたりと尻尾が振られる。
「しょうがないなぁ、シズちゃんは」
そう言いながら苦笑されて、その子ども扱いについついむっとしてしまった。
そりゃ確かに手前よりは年齢は下だけどよ…。だけど、こいつにだけは子ども扱いされたくねぇ、というのが静雄の本音だ。 たぶんこの黒猫は恋愛感情に関しては自分よりはるかに幼い。
何の警戒もなしにくすくすと笑って手を伸ばしてくる姿が、静雄の想像が間違いではないことを教えていた。

「拗ねないでよ」
「拗ねてねぇ」
「嘘つき」

息を吐いて、それから頬に触れる手を捕まえた静雄にも、臨也は大人しくされるままだ。
ああムカつくな…もう少し意識しろよ。
そんなことを思いながら、ほとんど無意識に細い手首に指を這わせて、ちゅっと音を立てて手の甲に口づける。

「……」

何の反応もしない臨也に、不思議に思って視線を落とす。と、視線の先、臨也はその独特の色の目を大きく見開いて固まっていた。
「どうした?」
問いかけると、眉間に皺が寄る。
ぱたんと一回、長い尻尾が床を叩いた。
それを見て、静雄はふむと少し考えて。
もう一度今度は細くて白い指先に口づけてみる。
表情は渋面から変わらなかったが、尻尾の反応は顕著だ。
ぶわっと膨らんだ尻尾に、思わず笑ってしまう。

「………前言撤回」
「ん?」
「シズちゃんって、意外と予測不可能かも」

ゆるゆると伏せられる猫耳は、ずいぶんと情けない有様だ。
どうやら、キスは臨也の予想から外れた行動だったらしい。
気持ちは残念ながら伝わらなかったようだが形勢が逆転したことでまあよしとしよう。
気をよくした静雄が、くつくつ笑って何度も指先にキスを繰り返してやれば、臨也は困ったように眉尻を下げて視線を泳がせて、

「…時々、シズちゃんってナチュラルにそういうことするから困る…」

へたりと尻尾を床にたらして呟いた。
そんな彼に、どうやら鈍いなりに何かを感じてはいるらしいと結論付けて。
静雄はまだ先は長そうだなと苦笑するのだった。












※まだ静雄さんの求愛行動(笑)に慣れていない黒猫さん。彼らにとっては割とこれが日常です。