mail
※お礼といいながら、お礼にならないような話です。『mail』(臨也サイド)と対。










side:S






仕事が終わって一息ついて。
プリンを買いにコンビニに寄った俺は、携帯を取り出した。
短い文章を打って、メールを送信する。
そのまま何種類かあるプリンを物色しつつ待つこと数分。
着信を告げる携帯に再び手を伸ばして確認して。
俺は口元が緩むのを感じた。

――『お疲れさま』

メールには短いたった一言。
その一言が嬉しくて、それだけで気分が高揚する。
ついついその気分のまま滅多に買わない一番高いプリンに手を伸ばしてしまう程度には、浮かれていた。

「帰ったら寝る前にもう一回メールするか」

今度はどんな返事が返るだろうか。
短いその文章を相手がどんな顔をして打っているのか。
考えるだけで、楽しかった。





俺――平和島静雄は、8年前からずっとこんなメールを続けている。
相手は、他の連中が知ったらたぶん目を丸くするか俺の正気を疑うかするような相手。
あの折原臨也だ。
どうしてこんなメールを犬猿の仲であるはずの俺達がするようになったのか…。
今でも忘れられないその切欠は、臨也から送られてきた一通のメールだった。

――『おはようシズちゃん』

ただそれだけが書かれたメール。
当時、そのメールに俺はどうすればいいか本気で悩んだ。
たぶん嫌がらせか何かで、相手は教えてもいないメールアドレスを知っていて且つこんなメールを送ってきたことに俺が激怒することを期待していたのだろう。
そう、今なら分かる。
でも、あの当時は本当にどうすればいいのか分からなかったのだ。
メールなんて家族とぐらいしかしたことがなかった俺は考えて考えて…まあ、目の前にあった昨日ふと衝動買いしたマグカップの写メを送った。
自分でもなんでわざわざそれを送ったんだって思うくらいだから、臨也にはもっと意味不明だったろう。
打った文章はたった一言、『おはよう』とそれだけ。
返事が返ると思っていなかったそのメールに応答があったのは、ゆうに10分は経ってからのことだった。

――『このカップ結構いいね』

そんな返事に、なんだか、わけもなく嬉しくなった。
実際に顔を合わせたらこんな会話は出来ない相手なのに、あまりにも普通で、新鮮で、嬉しかった。
それからだ。
俺が臨也にメールを送るようになったのは。





「まあ、まさかこんなふうに思う日が来るとはあの時は思ってなかったけどなぁ」

嬉しさは、いつの間にか別な感情に変わっていった。
普段のムカつく言動とは違う、飾り気のない言葉。
メールを介して感じる折原臨也という人間は、あまりにも今までのイメージとは異なっていた。
俺がその日見たものを撮って送れば呟きのような短い感想を返して、挨拶にも律儀に毎回返事をよこす。
それが何だか暖かくて、気づけは、俺はあいつに恋をしてしまっていた。
…まあ、現実のあいつと会えばイラつく言葉を長ったらしく並べ立てやがるから結局喧嘩になるんだけどな。ああ、クソ。なんだかムカついてきた…。

「…あー…とにかく帰ったらメールだ」

どんな返事がくるだろう。
それを想像するだけで、苛立ちはあっさりふんわりした気持ちへと変わっていた。










こんな日々がこれからも続くのだと、俺は疑っていなかった。















「っ」
苛々している自覚はある。
だが自分にはどうすることもできないのだ。

二週間ほど前。
俺は臨也が見知らぬ男と談笑している姿を目撃した。
いつもだったらコンビニのゴミ箱でも自販機でも投げつけてやるシーンだったろう。
だが、出来なかった。
ふわりと、臨也が柔らかな笑みを浮かべたからだ。
見たこともない、自分には決して向けられない笑顔に、心臓が軋んだ気がした。
無理矢理視線を引き剥がして見なかったことにして…その日、俺は8年間毎日続けていたメールを、しなかった。
画面を出して打とうとして、臨也の笑顔を思い出して胸が痛んで指を動かせなくて。
それを数回繰り返して、送るのを諦めた。
次の日も、その次の日も。
ますます送り難くなっていく自分に、そのもどかしさに苛立った。

「…あいつからも、送ってこねぇし」

もともと、最初の一通以外はあいつから送ってきたことなど数えるほどだ。
だから、別段変なことではないのだけれど。

「でもよ、一回くらい、連絡しろよ」

そうすれば、俺からも送れるのに。
そんな相手任せな自分がまた腹立たしい。
なのに、指先はメールを打とうとするたびに、止まってしまう。
堂々巡りの思考でますます苛立って、いっそ泣きたいほどだ。

「臨也、連絡しろよ」

頼むから。
そう言ってその日もメールを送れなかった俺は、数時間後、そのことを後悔することになる。
















――PM11:58。

携帯が震えて、俺は慌てて置いてあったそれを手に取った。
ディスプレイには『ノミ蟲』の文字。
やっとか、と思いながらメールを開いて…


「…なんだよ、これ」


ぽつりと呟く。
他に何か言葉を発することができない。
それくらい、そこに書かれた内容は俺にショックを与えた。

――『もう君からのメールは受け取らない。いままでありがとう。結構楽しかったよ』

今までより少しだけ長く。
なのに、まるで事務連絡のようなそれが、小さな画面に映されている。
意味が、分からなかった。

「っ…なんだよ、これっ」

急いでメールを打って送信した。
問いただすような文章になってしまったが、今の俺の感情そのままのメールだ。
何かしら返ってくることを期待して待つ。
数分で聞こえてきた着信音に。
急いでメールを開こうとして――手が止まった。

「…うそ、だろ…」

宛先不明のエラーメッセージだ。
それが届いているっということが何を意味するのか…。
「…臨也…?」


臨也はたくさん携帯を持っている。
俺とのメールのやり取りに使っていた携帯はひとつだろうが、その携帯が、不通になっていた。

「あ、いや、送り先間違えたのかもしれねぇし」

そんなことはないと知りながらも、俺は一縷の望みにかけてもう一度メールを送信する。
結果は――同じだった。
英語で書かれた、宛先不明の旨を知らせるメールが届く。
それをぼんやりと見つめて、俺は途方にくれるしかない。

「…なんでだよ」

携帯の画面が変にかすんで見える。
なんでだよ、臨也。
そうもう一度呟いて、俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
なんで、と問いかけようにも、もうメールが相手に届くことはないのだと。
俺は今になってようやく、行動を起こさなかったことを後悔する。

「…ッ」

だけど、後悔してももう遅いのだ。
臨也にはもう、俺のメールは届かない。
きつく目を閉じて奥歯を噛み締める。
…自分の愚かさを呪いたい気分だった。