遊びはそろそろ終わりの時間
※お題『駆け引きの恋十題』より。連作シズ⇔イザ。









「いぃざぁやぁああ!」

吹き飛ばされた玄関のドアが派手な音を立てる。
それに反射で身構えて、次いで臨也は逃げ場を探した。
なんで静雄がここに来たのか分からない。
臨也はここ数日池袋には行かなかったし、静雄の気を荒立てないように細心の注意を払ってきたはずだ。
必要であれば静雄に攻撃を仕掛けようとする者を止めるべく情報を操作までしていたというのに、なぜ。
混乱しながらも冷静な思考を残した臨也の頭脳は、迷うことなく退避を命じている。抗うことなく隠し部屋へ向かおうとして、だが、動きを止めた。
今の室内を静雄が見れば、間違いなく状況を察することができるだろう。
片づけられた室内。箱詰めされた書類。
どう見ても引っ越し──この場合は逃亡だが──の準備だ。

「ああクソッ」

静雄がどう思おうと今更関係ないが、せっかくまとめた荷物をひっかき回されるわけにはいかない。
すべて捨ててしまえればよかったが、パソコンだけは持ち出したかった。
迷っているうちに、静雄が踏み込んできてしまう。

「臨也あぁぁ手前ッ!!」
「…やあシズちゃん」
「手前ッ、人の連絡ことごとく無視するとはいい度胸じゃねぇか」

ぼきりと手首を鳴らして迷わず向かってくる静雄に。
臨也は引き攣り気味な笑みを浮かべた。
確かに静雄からの連絡──電話番号を教えた覚えはない。おそらく新羅から聞いたのだろう──を確かに無視し続けていた。新羅や門田からの伝言も聞かなかったことにした。
だが。

「そんなことでわざわざ来ないでよ」

なぜこうもこの男は思い通りにならないのだろうか。
いつだってこの男だけが臨也にとってイレギュラーなのだ。決して思い通りにならない、たったひとりの存在。だからこそ特別なのだと理解しながら、それでも腹立たしさは変わらない。
そっと息を吐き出して──無駄だとわかっていたが──緊張に強張った身体から力を抜こうとする。

「…いったい何の用かなシズちゃん?見ての通り俺は今ちょっと立て込んでるんだよね」

その言葉に、ようやく静雄は室内の様子に気づいたらしい。
周りを見回してから眉を寄せた。

「……手前…どっか引っ越すのかよ?」
「まあね。安心していいよ?池袋に戻る気はないし、ついでに言えばシズちゃんと二度と顔を会わす気もないから」

よかったね。これでシズちゃんの周りも少しは平和になるかもね。
そう言って、臨也は静雄に気づかれないように小刻みに震える手を隠した。
やはり静雄を目の前にすれば、どうしたって感情を制御しきれなくなる。
たぶんこれが最後だ。もう二度と直接静雄の姿を見ることはない。
そう思うと、不覚にも涙が零れそうだった。

「だから、今日はできればこのまま帰ってくれないかな?…ああ、今までの報復がしたいって言うなら、まあ一発くらい殴られてもいいよ?」

できるだけ明るく、声が震えないように注意しながら軽口を叩く。
なんとか成功したそれに安堵の溜息をついて。
そこで、臨也はようやく静雄の反応がないことに気がついた。
臨也の瞳に映る彼は、ただ唖然とこちらを見つめていた。

「……シズちゃん?」

何故そんな顔をするんだと首を傾げて。
訝かしげに名を呼んだ、その瞬間。

「ッ!?」

静雄の手が伸ばされて、臨也はその腕の中に収められる。
力任せに抱き寄せるそのあまりの唐突さに、反応が遅れた臨也は逃げることすらできなかった。
しかも。

「行くな」
「う、え?」

予想もしない言葉が耳を打って、妙な声まで出てしまう。

「行くな、臨也」
「…なに、言ってんの」

何を言っているのかわからない。
静雄にとって臨也がいなくなるのは良いことのはずだ。
むしろ手放しで喜ばれるだろうと思っていたのに。
なのに、静雄は行くなと言う。
意味が、わからなかった。…わからなかったが、臨也は相手の腕の中にいることに酷く狼狽えて。
混乱したままとにかく離せともがいて、腕の力を逆に強められ低く呻く羽目になる。

「しずちゃ──」
「好きだ」

低い声が鼓膜を震わせて。
ぴたり、と臨也の動きが止まった。

「え…?」

何を言われたのか、瞬間わからなかった。
静雄の言葉が与えられた衝撃はさっきの比ではない。
頭の中は完全に真っ白で、聞いた言葉を受け入れることも拒絶することもできず。
混乱のまま固まった臨也に、静雄がもう一度告げる。

「俺は手前が、臨也が好きだ」

だから行くな、と懇願するような声が耳元で響く。
好きとか何言ってるんだ馬鹿じゃないの、とか。
何が『だから』なんだ、とか。
切り返す言葉はいくらでもあったはずだ。
だが、臨也の口も頭も、それを発することを認めてはくれなかった。
混乱し整理されないままの頭は、臨也の狡い計算しつくされた行動など許してはくれなかった。
その代わりのように出てきた言葉は。

「…本気、なわけ?」

と、確認の言葉で。
その言葉を発した途端、静雄の腕の力がまた強くなる。
正直痛いはずなのだが、臨也は今それどころではなかった。
まだ、望んでもいない言葉を勝手に発した己を罵る余裕すらないのだ。
本気だったらどうしようとか。
困る、嬉しい、どうしよう、とか。どこまでも纏まらない思考に混乱は増すばかりで。
そこにさらに追い討ちがかけられる。

「本気だ。だから、手前が嫌がっても逃がしてやらねぇ」
「しず、ちゃん…?」

嫌がるって何言っているんだろうか。あ、そうか。この前触るなって言ったから?
そんなことを頭の隅で考えながら、ほとんど無意識にそろそろと広い背中に腕を回す。

「…臨也?」

戸惑うような声が耳元でして、臨也は自失したまま口を開いた。

「シズちゃん、俺…ずっと、シズちゃんに嫌われてると思ってた」
「だろうな」
「違ったんだ?」
「そうだな」
「………ッ」

ああもうどうしよう。混乱してどうすればいいのかよくわからない。
思いもしなかった事実を教えられ酷く混乱した頭に。
それでもようやく、静雄に嫌われていないという事実がしっかりと浸透した。
香る煙草の匂いを深く吸い込んで、伝わる暖かな体温に目を細めて。
臨也はちょっと泣きたいかも、と小さく笑う。

「逃げんなよ、臨也」
「…逃げないよ」

涙を零す代わりに、はふ、と浅く息を吐く。
逃げない。逃げる理由は、たぶんもうなくなった。
自分にもどうしようもないほど、臨也は静雄が好きなのだ。
だから、忘れられない感覚に苦しむのが嫌で逃げようとしたに過ぎない。
静雄が臨也を欲してくれると言うならば、逃げる理由はもうないのだ。

「しずちゃん」
「ん、なんだ?」

呼べば返される声。その声が嬉しい。
じわじわと滲み出す感覚はふわふわと頼りなくて、だけど暖かくて。
臨也はふわりと微笑んだ。

──やっぱり俺、シズちゃんが好きだ。

悔しいが心の底からそう思う。
本当に、いつの間にこんなに好きになってしまったのか。
じわじわと告白された実感が沸いてくると同時に落ち着きを取り戻し始めた臨也は、静雄に気付かれないように口の端を吊り上げる。

「しょうがないから、シズちゃんに付き合ってあげる」

顔は見えないように静雄の肩に頭を預けたまま、臨也は告げた。
どれほど好きだと思っても、付き合って欲しいと面と向かって言うのは無理だ。
素直じゃないのは性分なので仕方ないと思ってほしい。
そう身勝手なことを考えてから。それでも一度くらいは、と臨也は正直な自分の気持ちを口にする。

「好きだよ、シズちゃん」

小さく小さく。聞こえなくてもいいくらいのつもりで呟いた声が届いたかはわからない。
だが、静雄の腕の力が一瞬強くなったことが答えだろうと考え。
臨也は小さく幸せそうに笑って、背に回した手に力を込めた。












※ちょっと最後が駆け足が過ぎる気もしますが、これにてひとまず閉幕!
結局正式に付き合うところまでは書けませんでした…。
ここまでお付き合いくださった方々、ありがとうございました!


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