ハラハラドキドキしてみない?
※お題『駆け引きの恋十題』より。連作シズ⇔イザ。掴まれた腕から伝わる温度が、どうしようもなく痛かった。








昔、どうしても欲しくて手を伸ばして。
でも結局、拒絶されて触れることの叶わなかった手が、今、俺に触れている。
掴まれた腕から伝わる体温が酷く熱く感じて。
たぶん、だから流された。










「げ、シズちゃん」

出会いたくない時に限って必ずと言っていいほど出会う相手に、臨也は頬を引き攣らせた。

この前一週間ほど忙しくて池袋に出向かなかったことがあった。
ようやく一段落ついて息抜きがてら静雄をからかおうと池袋を訪れた臨也は、いつもと様子の違う静雄に酷く戸惑うことになった。
自分を見ても怒らず、普段なら黙れと言うだろう長話を遮らず、ただ自分を見つめる静雄の目に酷く焦った。
そこに宿る感情は明らかに安堵で、心配されたという事実が恐ろしかったのだ。
静雄の周囲には普段は暴力の影に隠れて見えない彼の優しさに気付き惹かれた人間が集まってくる。誰よりも嫌いな憎い敵という立ち位置がなければ、静雄にとってそれ以上の意味のない自分はただ忘れ去られてしまうだろう。
だから、線引きをし直すために、関係をはっきりさせるために、誘導した。
思惑通りに怒りだした静雄に池袋中を追い回され、さすがに少し後悔したほど、それはうまくいった。
そして、うまく行き過ぎたからこそしばらく会いたくなかったのだ。

「いーざーやーくーん。俺は池袋に来るなっていつも言ってるよなぁ?」
「ははは、その台詞を聞くのもう何度目だっけ?馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかりだね。…ああごめん、シズちゃんは馬鹿だったよね」
「今日こそ殺してやるよノミ蟲野郎が」
「それも聞き飽きたよ。たまには違うこと言ってみたら?」
「死ね!」

いつも通りに標識を振り回す相手に、臨也は苦笑するしかない。
迫る凶器を避けつつ、わざとらしくため息をついてみせる。

「シズちゃーん。いくら口じゃ勝てないからってすぐ暴力に訴えるのは止めたほうがいいよ。たとえ化け物でもさ」
「うるせぇ黙れ!」

そう叫びながら投げられるゴミ箱を半歩ずれて交わす。
さてどう逃げようかなと考えて、臨也はとりあえず地面を蹴った。
相手が全力を出せない適度な距離を保ちつつ、周囲の状況を把握する。

「ねえシズちゃん」
「なんだッ…手前チョロチョロ避けてんじゃねぇ!」
「いや避けなきゃ死ぬから。…でさ、今日は見逃してくれるとか、そういう気起きないの?」
「起きるか!!」
「ざーんねん」

じゃあ大人しく壁を乗り越えますか。
立ち並ぶビルであっても臨也にとっては道と同じだ。
瞬時に辿る道筋を決めて、一気に駆け出す。

「クソッ待ちやがれ!」

背中から追いかけてくる声は無視した。
今日は気分が乗らない。さっさと離れようと、駆け上がろうとした時。

「げ、嘘だろ」

標識とカーブミラーのコンボはさすがの臨也も想像していなかった。
もともと持っていた標識とすぐ側にあったミラーの両方が、僅かな時差で飛んでくる。
自然、両方を避けるために足が止まる。
だが。

「げ」

さらにもう一段あった。
投げ終わると同時に走り出したのだろう。静雄が臨也のすぐ側まで迫っていた。

「いぃざぁやァ!!」
「やば」

次の瞬間、強烈な衝撃を受けて臨也は思わず呻く。
体当たりを食らうとはさすがに想像していなかった。逃げを打つ間もなく、胸倉を掴まれ持ち上げられる。

「ぐ、う…」

締め上げる手に一切の容赦はない。
首そのものを絞められているわけではないので呼吸困難とまではいかないが、それなりに苦しくて臨也はもがいた。

「こ、のッ」

ナイフを出そうにもこの体勢ではすぐに気付かれるだろう。
やばいなと、振りかぶられた拳を前に臨也は笑う。これは半殺しコースで間違いなさそうだと、そう思ったのだが。
胸倉を掴んだまま今にも殴ろうとしていた静雄が、急に動きを止めた。
ぶら下げられていた身体が下ろされ、臨也が軽く咳き込んで相手を見上げる。
不可解な行動に何だと訝る間もなく、

「ッ!?」

ぐっと力を込めた手にシャツが捲くられ、胸元が晒された。

「な、にしてんだよ!?」

慌てて逃れようとしたが、びくともしない。
何だって言うんだ。いきなり訳わからないことをしやがって。
口汚く胸中で罵り、臨也はポケットにあるはずのナイフを探る。

「手前、これ、なんだ?」
「…え?」

つ、と静雄の手が鎖骨をなぞった。
なんだ?何のことを言ってる?
訳のわからない発言に混乱し、戸惑う。

「…誰につけられた」

もう一度指先が鎖骨を辿る。
…ひょっとしてあれか?
その動作で思い当たり、臨也は眉間に皺を寄せた。
ほんの数時間前の忌々しい記憶だ。できることならいますぐ記憶から抹消したいくらいだった。
思い出させた静雄に腹が立つ。

「シズちゃんには関係ない」
「そうかよ」

静雄の声は静かな怒りを湛えていた。
なんでシズちゃんが怒るのさ?
訳がわからず、臨也は視線を揺らして静雄から目を反らす。

「これ、つけたの女じゃねぇだろ」
「だからシズちゃんには関係ない」

図星だ。相手は男だった。
油断したほんの一瞬の、相手にとってみれば戯れに過ぎないその接触が、臨也には酷く不快だった。
記憶から消したいその痕跡を静雄に見られたのは、臨也にとって不覚以外の何ものでもない。

「手前、男ともするのかよ」

違うと叫びたかった。
だが、反射的に否定しようとして上げた視界に映ったものがそれをさせてくれなかった。
酷くどろどろとした感情をはっきりと見せるくせに軽蔑の色を宿した目。
見据える眼光は鋭く、臨也は身動ぎすらできず静雄を見上げ続ける。

「なあ、臨也」

平坦な声が怖かった。
誰でもいいんなら。そう発音する唇。底冷えのする目。
見下ろされる臨也はいまだ動けない。

「ヤらせろ」

低い声が、臨也の耳元でありえない台詞を吐いた。
ヒュッと飲み込んだ息を吐き出せず、臨也は唖然と静雄を見上げるしかない。

「…な、に…言ってんの。俺が誰か…わかって言ってんの…?」
「ゴミ臭ぇきたねぇノミ蟲だろ?」
「違」
「違わねぇだろうがッ」

胸倉を掴む手に力が篭る。
感情の爆発は一瞬だった。勘違いして不当に罵る相手への怒りはそのまま行動に現れる。

「違う!」

無我夢中で取り出したナイフを振り回し、それが偶然相手の顔を掠る。

「ちっ」

目に当たりかけたそれを避けるために手が離れ、臨也は静雄から逃れることに成功した。
ナイフを構えたまま、怒りに突き動かされて怒鳴った言葉は本心からだった。

「違う!俺はシズちゃんが思ってるようなことはしてない!俺は身体を売るようなことは絶対しない!!」

それは臨也なりの矜持だ。
裏の世界にどっぷり浸かっている自覚はあるが、それでも今まで身体を使って情報を得るようなことはしなかった。
誘われることはあったが撥ね退けてきた。

「俺は、俺がそうしてでも欲しいと思ったのは!」

そこまで叫んで、ようやく我に返る。
今自分は何を叫ぼうとした?拙い、拙い!拙すぎる!!
臨也は焦って誤魔化す方法を考えようとしたが、思考は上滑りするだけで一向にまとまらない。
そうしているうちに静雄が接近し、気付いて慌てて距離をとろうとしたが、遅かった。
腕を取られ、引き寄せられて顔が近づく。

「そうしてでも欲しいと思ったのは?」
「し、シズちゃんには関係な――」
「へえ?そうかよ。高校の時、手前俺に言ったよなあ?」
「ッ!」

やっぱり覚えていたかと舌打ちする。
臨也にとってはそれだって忘れたい過去だった。
誘いをかけてこっぴどく拒絶されたのだ。思えば、あれこそが静雄への敵意に拍車をかけた出来事だった。
…我ながら女々しいと言うかなんと言うか。振られて逆切れかよ、と臨也は自嘲する。

「覚えてるならもういいだろ。笑いたきゃ笑え、くそっ」
「別に笑いやしねぇよ。手前がそこまで俺を高く評価してるってのはむしろ笑えるけどな」
「…シズちゃんは化け物だからね。手に入れれば役に立つかなって思ったんだよ。馬鹿だよ高校のときの俺。こんな奴手に負えるわけないのにさ」

ありがたいことに、どうやら勝手に勘違いしてくれたらしい。
そのことにほっとして、臨也は小さく息を吐いた。
一度だけでもそういう意味で触れてみたくて、今より若かった愚かな自分が仕掛けた馬鹿な誘い。拒絶されて当然なそれ。
高校の時のあれが、本当は駒を手に入れるための誘いじゃなかったことは知られずに済んだ。それだけで充分だった。

「…シズちゃん、腕痛いんだけど」

掴まれた腕は強く握られている。
伝わる体温が、今の臨也には痛かった。

「なあ臨也」
俯く臨也を、静雄が呼ぶ。
「なに?」
いい加減離せと力を込めて睨みつけた臨也は、思わぬものを見た。
酷く真剣な目をした静雄が、自分を見つめていることに困惑する。
そんな臨也に静雄はやはり真剣な表情のまま、言った。

「俺はまださっきの言葉撤回した覚えはねぇんだけどな」

掴まれた手は酷く熱くて。
伝わる体温と、見上げた先の熱の篭った目に、ごくりと咽喉が鳴った。心臓の音が煩い。
静雄が自分に発情しているという事実が、臨也の身体の熱まで上げていく。

「手前が誰ともしてねぇってこと、証明してみせろよ」

低い興奮に掠れた声に。
一度だけだと自分に言い聞かせ、臨也は熱に浮かされたまま頷いた。












※第四種接近遭遇。冗談はさておき、シリアスと修羅場はまだ続きます。
あ、今回もだいぶお題から逸れてますよね。わかってます。


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