おあずけ
※獣静雄×臨也。秋夜さんへの捧げ物。














キーボードを叩く軽快な音が響く室内。
淀むことなくひたすら動き続ける指先を眺めて、一匹の大型犬が不満そうに鼻筋に皺を寄せた。
ゆらりと揺れる尾は彼の機嫌の降下を端的に示していたが。
残念なことに、それにパソコンと向かい合う人物――折原臨也は気がつかなかった。

「………臨也」

低く、大型犬が相手の名を口にする。
だが、『犬がしゃべる』という異常事態にも臨也が顔を上げることはなく。また、手の動きを休めることもなかった。

「………」

今度は低く、名ではなく唸りを発する。
だが、やはり臨也は相手にもしない。

「…………」

普段は真っ直ぐぴんと立った三角の耳を伏せ、どうあっても自分を無視するつもりらしい『家主』を睨みつけて。
大型犬はもう一度、先ほどより強い声でその名前を呼ぶ。

「臨也」

その声に、はふ、と溜息がつかれた。
カシャカシャと聞こえていた音も途絶えて。
代わりに、特徴的な色の瞳が、大型犬の姿を捉える。

「…シズちゃん」

ゆるゆると息を吐き出すような声音で、大型犬――静雄に彼がつけた渾名が呼ばれた。

「見れば分かると思うけど俺は仕事中なの。…分かるよね?」

問いかけは苛立ちを多分に含んでいた。
分かっている。だが。

「…退屈なんだよ」
「あのね…俺は暇じゃないんだよ。何にもしないで一日ごろごろしていられる犬の君と違って働かないといけないんだから」

別にごろごろしていた覚えはないぞ、と思いながらも、静雄はぱたんと一回尾を揺らしただけで口には出さなかった。
出したらたぶん10倍くらいになって返ってくることは必至だったからだ。
しかし、そうして何も言わないでいるうちに臨也はまた静雄からパソコンに視線を戻してしまう。

「……」

不満。不愉快。
今日は朝からずっと、少しも構ってもらえていないのだ――と考えて。
静雄はそんな自分の思考にむっとした。
なんで俺がこいつに構ってもらわなければいけないんだ。そもそも別にこいつは同居人――というには静雄が一方的に住み着いただけだが――であって、飼い主ではない。そもそも、自分には飼い主など不要だ。
そう考えて、そうだそうだと首を振る。

だが。

「…それとこれとは話が別だよな?」

暇なのだ。暇な自分を放っておく臨也が悪い。と、自身の不満を都合良くねじ曲げ、すべて目の前の相手のせいにして。
静雄は、くっと喉を鳴らした。
のそりと身を起こして歩くこと数歩。
蜂蜜色の毛並みの大型犬は、そのまま椅子に座る相手の膝へと顎を乗せる。

「構え」

主張ははっきり分かりやすく。
それをちろりと見遣った臨也が、深い溜息をついた。

「無理」
「暇だ」
「…あっちで寝てろ」
「構え」
「……しつこい」

いい加減にしろと睨んだ臨也に、静雄はふすっと鼻を鳴らして上目遣いに「暇なんだよ」と呟く。
もちろん、相手がこの犬のような――静雄は自分を犬だとは思っていないが――行動に弱いことを見越しての行動だ。
実際効果はあったらしい。
先程よりも深い溜息をついて、臨也は呆れた顔で首を振った。
「…君って、自分は犬じゃないって言ってる割に犬っぽいよねぇ」
全身で構えと訴える姿は犬そのもの。
「………わん」
さらに犬っぽく僅かに首を傾げて吠えてみせれば。
毒気を抜かれるなぁ、と呟いて、臨也は静雄の頭をわしわしと撫でてくる。
よし、これで構ってもらえるなとほくそ笑んだ大型犬に。
しかし、降ってきたのは期待はずれの言葉だった。

「おあずけ」
「………ああ゛?」
「少なくとも今の君は犬なんだろ?それで、俺はこの部屋の主、君は居候だ。ここは君が譲るべきだと思うんだけど?」
「………」

臨也の言葉に、静雄はムッとして鼻筋に皺を寄せる。
自分で犬のまねをしたとはいえ、静雄は静雄はただの犬ではないのだ。
完全に犬扱いされるのはプライドが許さない。
だというのに。

「おあずけだよ、シズちゃん。これが終わるまで大人しくしてて」

などとぬかした家主は、そのまま静雄から視線を転じようとしていて。
思わず漏れた低い唸りは仕方ないというものだった。
そんな静雄に気づいているのかいないのか――たぶん気づいているだろうが――臨也はふと思い出したというように「ああそうだ」と呟いた。

「これあげるから大人しくできるよね?」

そう言って引き出しから取り出されたのは見慣れたパッケージ。
静雄が好む銘柄の煙草だ。

「…もので誤魔化そうってのかよ」
「煩いなぁ。いるの?いらないの?」
「……いる」

寄越せと口にして、細い指からそれを取り上げようとして。
はたと犬のままでは煙草を吸えないことに気づく。
ちっと舌打ちして、目を閉じて、意識を集中する。
ざわざわとした奇妙な感覚。
相変わらず妙な感じだよなと思いつつ静雄は目を開け、深呼吸した。
低かった視界が急速に高くなり、前足は手に変わる。

人型への変化。
静雄は、自身が自負する通り、ただの犬ではなく獣から人型への変化が可能な種族であった。

「…いつ見ても不思議」

呟く臨也の言葉にふんと鼻を鳴らす。
耳も尻尾もなくなれば、静雄はもはや普通の人間にしか見えないだろう。
この姿を何度も見ているくせに未だに自分を犬扱いしたがるのだから不愉快だった。

「よこせ」
「…あ、うん」

はい、と差し出される煙草の箱。
その白く細い指先からそれを受け取り、もう片方の手でその指先を拾い上げる。

「シズちゃん?」

不思議そうな声。
…つか、無防備すぎだろ。
臨也が聞けばそんなことはないと反論するだろうことを考えて、静雄はくっと笑った。
いつまでも犬扱いされ続ける気はねぇんだよ、と心中で呟いて。
すっと屈んで、柔らかな唇をぺろりと舐めてやる。

「――しず、ちゃん?」

何をされたのか、まだ把握できていないのだろう。
変なとこ鈍すぎだよなとついつい苦笑が零れてしまう。
何度もしているのに、いまだに唐突な静雄の行動にいちいち目を丸くするのだから、可愛くて堪らない。

「おあずけってことはよぉ…」
「…え?」
「あとでちゃんと餌をもらえるってことだよなぁ?」

逃がさねぇぜ、と。
にやりと笑ってみせた静雄の瞳に、ようやく状況を把握した臨也がひくりと頬を引き攣らせたのが映った。
このあと臨也が自分から逃げようとどんな無駄な足掻きを見せてくれるのか。
想像するだけでしばらく退屈が紛れそうだと、考えて。
静雄は口の端をつり上げ、ゆったりとした仕草で煙草に火をつけた。












※獣静雄(獣型⇔人型どちらも可能)と臨也さん。

RT&リクエストありがとうございました!そして期待はずれですみません…