後ろから抱きしめる









「いーざーやーくーん…」
「うっわ、シズちゃん」
「手前、池袋に来んなって何度言ったらわかるんだ、ああ?」
「いや、俺も仕事があるしさ。それくらい見逃してよ」

臨也と静雄は犬猿の仲である。
それは彼らを知る者であれば当然の認識だろう。

「何でわかっちゃうのかな?嗅覚まで化け物とか正直迷惑なんだけど?」
「手前の都合なんざ知るか死ね!」

笑みを崩さぬままのたまう相手に、静雄は手にした標識をぶん投げた。
当たり所が悪ければ死に至るだろうその一撃を、臨也は危なげもなく避ける。
ここまでは静雄にとっても予想通りだった。

「あはは、馬鹿だなぁシズちゃん。死ぬのは君だよ。でも俺今日はまだ用事あるし見逃してあげる」
「待ちやがれノミ蟲!!」
「嫌だね。待てといわれて待つわけないだろ」
「手前ぇぇ!!!」

去り際に投げられたナイフが結構な勢いで静雄の頬をかする。
逃げる臨也と追う静雄。
これも池袋では当たり前のことだった。


だが、彼らに…特に静雄にとっては、この喧嘩も追跡もただそれだけの意味のものではなかった。

どちらも本気で殺し合っている。それは事実だ。
だが、それならお互いがお互いを避ければ、喧嘩は回避できるはずのものだった。
にもかかわらず、臨也は外に出なくとも済む仕事をわざわざ池袋でする。
にもかかわらず、静雄は毎回毎回臨也を追いかけ回す。
その理由に、片方は気づき、片方は気づいていない。


「ここまでだなぁ臨也くん」
うっかり道を間違えた臨也を路地裏の行き止まりまで追い詰め、静雄は凶暴な笑みを浮かべた。
「見逃してよシズちゃん」
視線を動かし活路を探すが、生憎足がかりになりそうなものはない。
絶体絶命のピンチにそれでも余裕の表情を浮かべる臨也を眺めて、静雄は内心でため息をついた。
「逃がすと思ってんのか」
「…やっぱ無理?」
笑う声はあいかわらず胡散臭く感情を読みにくい。
だが、静雄は気づいてしまった。最初に気づいたのはわりと最近とは言え、彼は気づいてしまっていた。
わざわざ池袋に足を運び、静雄に見つかりそうな大きな道を堂々と歩き、挑発し、時に逃げる足を緩め、無意識にこの道を選んだ臨也の心に気づいてしまっていた。

「逃がすわけねぇだろうが!」

本心から吐き出した言葉と同時に静雄は一気に距離を詰め。
逃げようと身を翻した臨也のコートについたフードを捕らえ、適当に加減して引き寄せる。
背後から抱かれる形で腕の中に捕らえられた獲物は、酷く狼狽した様子で暴れていたが、これは静雄にとっては抵抗にすらなっていない。

「放してよシズちゃん!男…っていうか俺なんか抱き締めて気持ち悪くないの!?」

往生際の悪い男だ。そう考えて静雄は苦笑した。
静雄は気づいてしまっている。
臨也が抱く感情に。自分が抱く感情に。
なのに、腕の中の男は気づいていないのだ。
自分が抱く感情にも、静雄が抱く感情にも。
気づかないくせに、無意識に欲するまま行動に出る。
早く自覚すればいいのにと静雄はそう思うが、どうにも鈍いこの男はぜんぜん気づかない。
無自覚の幼い独占欲のまま、あの手この手で静雄の気を惹こうとするだけなのだ。

「うぜぇな」
必然相手の数々の所業を思い出し、殺意に思わず腕に力がこもる。

「痛い痛いッ!!マジ骨折れるからっ…ッッ!!!!!!!」

あ。と思った時にはもう遅かった。
ボキリと骨が折れる音がして、臨也は声にならない悲鳴を上げる。

「…あー、悪い」
今のはそんなつもりじゃなかったと弁解しようとする静雄だったが、
「…っ、シズちゃんの、馬鹿!放せよ!」
激痛に冷や汗を流しながらもジタバタと暴れる臨也は聞く気はないらしい。

「落ち着け」

呼びかけにキッと向けられる鋭い視線。だが、その眦にはうっすら涙が浮いていて、静雄は先ほどまでとは別の意味で気が高ぶっていくのを感じた。
臨也はいつも無自覚に静雄を煽る。
言葉の、行動の、その端々に表れる甘えと不満。ある意味では純粋で、この上なく邪な感情の発露が自分の行動の根底にあるのだと、何故か臨也は気づかない。

「…他人の感情には敏いくせにな」

ぽつりと思考から零れ落ちた言葉に、臨也が訝しげな顔で動きを止め静雄に視線を遣す。
探るような彼の視線は、何故かいつも決して正解を見出さない。
決して静雄の感情にも、自分の感情にも気づかない。
まるで、最初からそんな感情は存在しないと否定しているかのように。
あるいは、その感情に気づくことを恐れるかのように。

「…シズちゃん」
「なんだ」
「放してくれる気なくて殺す気もないなら新羅のところに連れて行ってよ。かなり痛くて、立ってるの辛くなってきた」
「…わかった」

結局、いつものように臨也は静雄の想いには気づかずに終わった。
そのくせまるでそうするのが当然だとばかりに要求を口にする。
それが甘えだと気づかない臨也に、静雄はため息をつくしかない。

「ため息つく、と、幸せが逃げるよ…?」
誰のせいだという言葉を飲み込む静雄に臨也は笑う。
顔色は青ざめたままでも口は変わらず達者だ。
「まあ、シズちゃんの幸せなんて俺はどうでもいいけどね。今は新羅のとこ連れてって。シズちゃんのせいなんだからそれくらいしてよ?」
静雄は再度ため息をつく。
減らず口を叩く男の指が放すまいとするかのように自分の服を握っていることは、もう指摘する気も起きなかった。

…何でこんなに自分がらみの恋愛感情には疎いんだか。

そんな相手に何故か惚れている自分の愚かさを心の中で嘆いて。
とりあえず静雄は腕の中で騒ぐ臨也の要求を叶えるべく抱え上げることにした。
すぐにその抱き上げ方に対する文句が飛んできたが、これは無視することにした。










※自覚してしまった不憫な人と無自覚に欲求を吐き出す人のはなし。


[title:リライト]