瓦解
※静←臨←帝。帝臨。うす暗いはなし。








竜ヶ峰帝人は知っていた。
新宿の情報屋の感情の向かう先も、池袋の喧嘩人形が無意識に抱く想いも。自分が胸に秘する歪んだ望みさえも。
そして、知った。
喧嘩人形のそれが決壊し無意識の欲望が起こした惨事と、情報屋の心が負った酷い傷のことを。
帝人は迷うことなくその傷につけ込むことにした。








「…臨也さん、目覚めましたか」
ぐったりと横たわっていた身体が僅かに身じろいだのを見て、帝人は殊更優しく声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「…みかど、くん?」
「はい」
ぼんやりと見上げる瞳に映った自分に変なところがないことを確認する。
いつも通りの自分を装いながら、逸る気持ちを抑えて酷く弱っているだろう臨也の心を探り爪をかける箇所を探していく。

「どうして…」
「タクシー代と鍵、勝手に使わせてもらいました。あ、一応応急手当もしたんですけど、辛いとこありますか?」
「………」

もそりと辛そうに起き上がった臨也の、揺れて動揺の色を隠さない瞳が帝人を映している。
今、この人は酷く傷ついている。今なら、たぶんつけ込める。
あの人に何を言われたのかは知らない。ただ、それは酷くこの人を傷つけて弱らせてくれた。そのことだけは感謝しよう。
そう醜いことを考える自分に、帝人は少し笑った。

「なんで…」
「だって放って置けないでしょう?」
「別に…」
「放っておいても良かったのにって思ってますか?でも僕は、知り合いが酷い怪我をしてるのを放って置けるほど非道な人間じゃないですよ」
「でも」
「じゃあ言い換えましょうか」
「………」

言葉少なだが頑なに拒否しようとする臨也の様子に、帝人はアプローチの方法を変える。
声の調子すら変えた帝人に、臨也が少し不思議そうな顔をした。
まだ弱った自分を隠すことすら満足にできず素の顔を晒していることに、彼は気付いているのだろうか。
人が自らの思う通りに転がっていく様を楽しむ臨也の気持ちが少しわかったがして、帝人は反吐が出ると心の中で吐き捨てる。
それでも、これが最も効率よく欲しいものを手に入れる手段だと知っている。だから、帝人は迷わなかった。

「僕は今、あなたにつけ込もうとしています。あなたが欲しいから。あなたを奪いたいから。わかりますか?」
「…馬鹿じゃないの」
「かも知れませんね」
「言っちゃったら意味、ないよ?」
「そうでしょうね」
「じゃあ、なんで…?」

聞いてくる声は少し震えていて、帝人は自分のまだ頼りない小さな爪が、それでも彼の心のどこかに引っかかったことを確信する。

「今のあなたは、こんな僕にでも縋りたいくらい弱っているんでしょう?怯えているんでしょう?」

答えを返さない臨也。その沈黙こそが答えだった。
だから、帝人は一片の迷いもなく言葉を続ける。

「僕を利用していいですよ。だから、代わりにあなたを下さい」

にっこり笑ってそう言って。
見つめた先の疲れた顔が、ゆっくりその表情を変えていく様を楽しむ。
歪んだ笑みをかすかに浮かべて、臨也は泣きそうな声で呟いた。

「…帝人くんって、すごく馬鹿だったんだね」
「馬鹿でもいいですよ。あなたを手に入れられるなら」

揺れる視線。戸惑う気配。演技をする余裕もないほどに。ほら、強がっていても今のあなたは酷く弱い。
そう、帝人は臨也の傷ついて壊れかけた心に刷り込んでいく。

「俺なんかのどこがいいの」
「さあ?でも欲しいんです。身体も、できれば心も」
「馬鹿じゃないの」
「さっきからそればかりですね」

優しく笑うと、ため息をつかれた。

「僕が守ってあげますよ。利用して下さい。僕にもそれくらいの価値はあるはずですよ」
「………」

饒舌なはずの口は閉ざされたままで。帝人は、彼の傷つき弱り果てた心に、爪を、牙を、杭を、打ち込んでいく。
決して帝人から逃れられないように、はっきりとその心に存在を刻んでいく。

「僕が守ります。誰があなたを否定しても僕があなたの側にいる。だから、」
「君は、馬鹿だ」
「馬鹿でいいですよ」
そう。自分の気持ちに正直になれない愚か者になるくらいなら、そのほうがずっと良い。
「俺は、」
「大丈夫ですよ。ほら、臨也さんには僕がいるでしょう?」

言おうとした言葉を遮って、抱き寄せる。
無抵抗で腕に収まる臨也は、もう何か行動を起こす気力もないのかもしれない。
ボロボロの身体と、傷つきすぎて痛みすら感じられなくなった心。
限界まで痛めつけられた彼は、たぶんもう二度と完全には元に戻れないだろう。
それでいい。もう返すつもりはないのだから。
帝人は大切なものが失われたことに未だ気付いていないだろう男を哂う。

―この人は、もう僕のものだ。

帝人は、力の抜け切った身体に残る暴力と情交の痕を服越しに辿っていく。息をつめて低く呻く臨也はそれでも無抵抗だった。

「ねぇ、臨也さん」
「…うん」
「僕が壊してあげますよ、全部」
「うん」

そうだねそれもいいかもね。と呟くように言った臨也を強く抱き締めて。


―ああ。ようやくここまで堕ちてきた。

帝人はこれから先を思い浮かべ、満足そうに昏い笑みを浮かべた。












※欲しいものをほしいと主張する人のはなし。
主張しなければ手に入らないものもあります。そして、逆に主張しなければ失ってしまうものもあるのです。