Call
※『mail』続編。






side:I おもうということ















「ん…」

ぼんやりと目を開いた臨也の視界に、人影が映った。
誰だ?と考えるより早く、
「おはよう臨也」
と声をかけられて、きょとんとする。
声の主は、ここ――臨也の事務所にいるはずのない人物だった。

「…しんら?」

何で?と首を傾げようとして。
見慣れない天井に、ようやくここが新羅の住まうマンションであることを知る。
そのまま視線を動かすと、自分の腕に刺さった針とそれに繋がるチューブが見えた。

「君が倒れたって連絡があってさ、あのまま寝かしといてもまた仕事しそうだったから連れてきたんだよ」
いい迷惑だね!とにっこり笑って言われて、それは悪かったねとまったく悪びれない調子で返す。

「で?」
「で?って…?」
「ずいぶん久々に倒れた原因。主治医としても友人としても気になるじゃないか?」
「黙秘させて――」
「さっさと喋らないと自白剤打つよ」
「……とんでもない医者だな」

さあさあ早くしなよとばかりに注射器をチラつかせる闇医者にげっそりとして。
臨也は分かったよ、と素直に頷いた。
本当はこんなこと言いたくはないのだが、言わなければこの男は本気で自白剤くらい打ちそうだと思ってしまったからだ。

「失恋、したんだよ」
「は?」
「だーかーらー、失恋!って言っても俺の一方的な片想いだったけど」

二度も言わせるなと睨みつける臨也に、新羅は不思議そうに何度も目を瞬かせて僅かに首を傾がせる。

「告白しなかったんだ?」
「しないよ。できるわけない」
「なんで?」
「俺、その人にすごく嫌われているから、告白したって気持ち悪がられて…もっと嫌われるだけだ」
「そんなの言ってみなきゃ分からないじゃないか」
「分かるんだよ」

分かるんだ、と口にして。
臨也はぎゅうっと目を閉じた。
静雄が自分を嫌いなことなど知っている。分かりきったことだ。
あのメールでだけ成立していた会話は、現実に会えば決して成り立たない。
顔を合わせれば死ねだの殺すだのと言うだけで、そこに好意などまったく見えはしないのだから。
あれはあのメールでだけ成り立っていた関係だと理解していて、臨也は告白など考えたこともない。
だからこそ、自分が彼に必要されていないと気づいた時に決めたのだ。

「終わりにするって決めたんだ」

今にも震えそうな声で、それでもそう言った臨也に。
新羅は苦笑し、そっと手を伸ばして髪を優しく撫でてきた。

「君って本当に臆病者だよね」
「…煩いな」

鬱陶しいと手を払うとくすくすと笑われて、しかも、
「でも、君も人並みに恋で悩んだりするんだね」
などと楽しそうに言われてしまえば、さすがに眉間に皺が寄る。
人が失恋して苦しんでいるというのに、ずいぶんと酷い友人だ。

「俺が、そういうので悩んじゃいけないって言うのかい?」
「別にそうは言ってないよ?ただ、臨也も普通の人間だったんだなぁって感心してただけだ」
「………」

クソ、面白がりやがって。
そう心の中で唸って、臨也はころりと寝返りを打って新羅の視線から逃れた。
もう相手にしたくない。
それに何より、今は眠れるうちに少しでも休息を取っておきたかった。
どうせここを出てしまえばまた寝られないに決まっているのだから。

「そろそろ薬が効いてきた?」
「……らしい」
「そっか。じゃあ、特別に今日はこのままこの部屋を使っていいからゆっくり眠るといいよ」
「…ん」

急速に強くなる眠気に身を任せて、臨也は目を閉じる。
遠のく意識の端、新羅が何か言った気がしたが、それは臨也の耳には届かなかった。



そうして、臨也が眠りにつくのを見届けた新羅はふうと小さく息を吐き出した。
…本当にどうしようもない。
新羅は臨也と静雄が互いに恋をしていることぐらい知っていた。
その上で、どれだけ遠回りしようといつかどうにかなるだろうと幼い恋をしている二人を見守っていたつもりだったのだが、彼の思う以上に臨也は臆病者であったらしい。
終わりにすると口にした時の表情を思い出して、溜息が出てしまう。

「君が、その恋を手放せるとは思えないんだけどね?」

自分がそうであるように、臨也もたぶん静雄への想いを消すことなど不可能なのだ。
どれほど諦めようとしたって本心は違うのだから。

「まあ私なら諦めないけど」

臨也のような考え方は自分には出来ない。
あーあ、と呟くように口にして新羅は首を振った。
ずっと口を出さずにきたのだから、今更自分から何かをする気はないけれど。
だけど。できれば。
この友人が幸せになればいいと、そう思う。

「おやすみ、臨也」

髪の間から覗く額にキスを落として。
新羅はそっと部屋を後にした。