Dance with Devils!


















3.悪魔の望み






それは、静雄が臨也を召喚した、その日の夜。
日付が変わって少しした頃のこと。


「やあ、久しぶり」

小さなバーの隅。
そう、にっこり笑ってグラスを掲げた臨也に。
田中トムを名乗る男は苦笑した。

「久しぶりって程じゃない気がするけどな」
「じゃあ、本来の立場で会うのは久しぶりってことで」

隣に腰を下ろすと、臨也は笑みを皮肉げなものに変えて言う。

「単刀直入に聞くけど、なんでシズちゃんにあんなもの渡したのかなぁ?」
「そりゃ、こうすればお前さんたちも少しは喧嘩しなくなるかなぁと」

にやりと口角をつり上げて答えるトムは楽しげだ。
他人事だと思って、と溜息をついた臨也がグラスに視線を落とす。

「……まあ、契約する前に死なれちゃ面子に関わるからね」
「だろ?お前さんなら私情よりそっちを優先するだろうし、それに前から静雄の魂食いてぇって言ってたしなぁ」
「………」
「実際目論見どおりだったろ?」
「……悪魔め」
「そりゃ悪魔だからな」
「………」

くくっと喉の奥で笑う静雄の尊敬する“先輩”は臨也の同族だ。
存外人の世が気に入って居座る同族は多い。彼もまたそんな一人である。

「で?静雄は何を願ったんだ?」

にやにや笑いは消さぬまま問われて、臨也は首を振って答えた。

「まだだよ。決まるまで保留とか言われちゃったからさ」
「ええ?マジか?」
「うん」

その答えは、静雄に臨也を召喚するための魔方陣が記された本――ちなみに実はあの場で作った一点物だ――を渡した張本人であるトムにとって予想外だった。
静雄が誰を好きなのかなど知っていた。だから、手助けの意図もあったというのに――。

「はー…いや、まあ、考えてみりゃあの静雄だもんなぁ…」

好きなやつ本人を目の前に、好きになれなんて願い事はできないかもしれない。
そう勝手に納得して、溜息をつく。
遠慮なんかしなくていいんだけどなぁ。
なにしろ悪魔は欲望に忠実だ。目の前に美味しそうな獲物がいてそれが誘いかけてきたら迷わず手を伸ばすし、相手にその気がなくたってあの手この手で篭絡する。そういう存在だ。
特に、静雄の想い人――折原臨也を名乗る目の前のこの同族は、己の欲にとても忠実だったはずなのだ。
そしてさらに、トムは臨也は願いを叶えてもすぐに静雄の魂をとったりはしないと踏んでいた。少なくともその魂が最高においしくなるまで待つ。それが、トムの知る臨也なのだから。

「お前は静雄の望みが何か分からないのか?」
「全然。分かったら苦労しないよ」
「…そ、そうか」

そういえば、こいつは昔から自分に向けられる感情には無頓着だった。
しまったなと二つのミスにトムは内心で頭を抱える。
彼らの性格を考慮に入れるのを忘れるとは、らしくないミスをしてしまった。

「あ、っと…まあ、静雄も真面目だからなぁ。軽々しく願いとか言えないのかもな」
「確かに真面目なとこあるんだよね…まったくさぁ。おまじないになんか頼るくらいの願いがあるんじゃないのかなぁ」

ふぅと溜息をついてからグラスの中身を一気に飲み干す臨也は、たぶん静雄の想いなどまったく気づいていないのだろう。
今まで気づかなかった静雄も相当だけど、悪魔の癖に鈍いんだよなぁこいつも。
そう思って、苦笑を零してしまったトムは、ふと思いついて問うた。

「そういや、お前は静雄がまじないなんかに頼った理由がなんだか分かるか?」
「ん?…さあ?でもシズちゃんのことだからまたあの力のことで悩んだとかじゃないの?」

大はずれ。

「恋とか、そういうのだとは思わないのか?」
「………シズちゃんが、恋?」

一瞬きょとんとした臨也が、じわりと眉根を寄せたのを確認して。
トムは今頃はもう眠っているだろう後輩に向けて、一石投じてやったからなと心の中で呟く。
同族であるトムの目から見ても、臨也の静雄への執着は少し異常だった。
食べたいと口癖のように繰り返し、執拗に静雄を追い詰めてみて。
おいしそうだと感じる魂の基準は悪魔といえど個人個人みんな違うので臨也の目的は不明だったが、少なくとも静雄が誰かに気を取られるのを許せない程度の執着は見て取れる。
運がよけりゃ、この迷惑なのも少し大人しくなるかもだしなぁ。
そう考えてトムはこれから先の臨也の反応を想像して口の端を吊り上げたのだった。






翌日、臨也は街を歩いていた。
トムが一石を投じたその後。
人間と違い睡眠を必要としない臨也はずっと、静雄について考えている。
無駄に過ごしたとは思わない。
静雄のことは、今の臨也にとってはかなりの比重を占めるのだから、当然だった。
思考を巡らせながら池袋の街を歩く彼は、んーと小さく唸って首を傾げる。
シズちゃんが恋?
あの男との付き合いはそこそこ長いが、考えたこともなかった。
静雄はそういうものとは無縁だと、そう思っていたのだ。

「………」

首を傾げて、眉間にしわを寄せて。
臨也は考える。
トムの言葉が間違いと断定できない以上、無視はできない。
平和島静雄は自分の獲物なのだから。
まずは探りを入れてみるか、と臨也は笑みを消して目を細めた。

「さて、どうしようかなぁ」

視線の先には、見慣れた後ろ姿。
その目立つ金色を見つめる。

「っていうか、またシェイクなんか飲んでるし」

もっと健康を考えたほうがいいのにと首を振って苦笑した。
そうだ。そうしよう。
勝手に決めて、臨也は静雄へと向かって歩き出す。

「しーずちゃん」
「っ!」

声をかければすごい勢いで振り向かれた。

「手前、なんで…」
「ん?なにが?」
「…チッ」

苛立ちは伝わってくるが心を読んでいるわけではないから、臨也には静雄が何を考えたのかは分からない。
言葉にしてくれないと分からないんだけどなぁと思うが口には出さず。
代わりに静雄が手にするシェイクに視線を移した。

「またそんなもの飲んでるの?」
「あ?別にいいだろうが?」
「そんな甘いだけのものよく飲めるよねぇ…うわ、想像しただけでお腹いっぱいになりそう」
「………喧嘩売ってんのか手前」
「んん?売ってないよ?」
「………」

不愉快そうに眉が寄せられるが、静雄はいつものようにキレはしなかった。
そういえばこの前からそうだったけど、どういう心境の変化なのか。
視線を逸らして歩き出した静雄に臨也もついて歩きながら、考える。

「おい、ついてくんな。見逃してやるからさっさとどっか行け」
「やだね。それよりシズちゃん、君最近ジャンクフードばっかり食べてない?」
「…手前にゃ関係ねぇだと」
「まあ、あんまりないけどさー」
「……だからついてくんじゃねぇよ」
「やだ」
「やだじゃねぇ。うぜぇんだよ」
「うざいとか酷くない?それよりさーシズちゃん。そんなものばっかり食べてるとそのうち太るよー?」
「………」
「ねーってば」
「………」
「しーずちゃん、シズちゃんシズちゃん」
「………うっぜぇええええ!!!」

喋りながらちょろちょろついて回る臨也に、静雄はぶち切れて叫んだ。

「そもそも、なんで呼んでもいねぇのにここにいやがるんだ手前はよおぉお?」
「えー、だって俺今日こっちで仕事だったし」
「ならさっさと行け!」
「もう終わったし」
「じゃあ今すぐ新宿に帰れ!!」

びしっと指で指し示す静雄だったが、残念ながらそちらは新宿方面ではない。
シズちゃんまさか方向音痴?とか思いながらもそれは口にせず、臨也はわざとらしく溜息をついた。

「別にいいじゃん…一応シズちゃん俺の契約者だし、心配なんだよ」
「ああ?」
「また馬鹿なことして借金増やしてたらどうしようとか、変なもの拾い食いしてるんじゃないかとかさぁ」
「しねぇよ!」

怒鳴る静雄にくくっと笑って手を伸ばす。
ビクリと身構える相手の頬に指先を触れさせて、そして、問う。

「ところで、願い事決まった?」
「さらっと話を逸らしてんじゃねぇッ。あと、決まってねぇよ」

きっぱり言われて溜息をつく。
決まっているとは思っていないが、少しは考えてほしいものだ。
これは臨也にとって大事なことなのだから。
だが、まあ急がなくてもいいかと首を振る。
時間はある。まずは、トムの言ったことを確かめることにしよう。

「…なぁんだ、残念。…あ、シズちゃん今日の晩ご飯は決まってるかい?」
「……手前にゃ関係ないだろうが」
「いいから。決まってるの?」
「…決まってねぇよ」

静雄の返答に悪魔はにやりと笑った。
懐に潜り込んでしまえばこちらのものだ。
心を読む気など毛頭ない。
臨也にしてみればそんな面白くもないことはしたくないのだ。
だから、回りくどい手段だがまずは静雄との距離を縮めつつ確かめてみようと決めていた。

「よし、じゃあ晩ご飯用意してあげるからまっすぐ帰っておいで」
「………なんで手前がそんなこと」
「そりゃ、ジャンクフードばかり食べ続けて病気にでもなられたあげく、願い事叶える前に早死にされちゃ困るからねぇ」
「…………」
「じゃ、また夜にね!」

ひらひら手を振って、軽い足取りで去っていく臨也の後ろ姿を睨みつけて。
その姿が見えなくなってから、静雄は重い溜息をつく。
その様子を振り返らずとも確かめられる臨也は、シズちゃんって結構流されやすいっていかほだされやすいタイプだよねぇと楽しげに笑うのだった。












※悪魔はいつだって自分の欲望優先です。