Dance with Devils!


















「しっかしシズちゃんがおまじないとか、笑っちゃうねぇ」

ホント一体どんなおまじないをするつもりだったのさ、と。
けらけら笑うノミ蟲、もとい折原臨也…もとい自称悪魔に。
静雄は、これどうすればいいんだ?と頭を抱えたくなった。
事の起こりは、つい一週間ほど前に遡る。






1.恋する池袋最強






「…ありえねぇ」

何がありえないって、自分の気持ちが一番ありえない。
鬱々とした気分で呟いて、静雄は空を見上げた。
ゆっくり流れていく雲を眺めて少しでも気持ちを落ち着けようとするが、まったく無意味だ。

「…くそっ」

昨日先輩であり上司であるトムと飲みに行って、そこで話した内容。
実際は内容自体は酒のせいであやふやだたが、心地よい酔いを一気に覚ました台詞があった。

――『…お前のそれ、まるで恋みてぇだなぁ』

苦笑交じりの呟きだった。
たぶんトムも特別含みがあって言った言葉ではなかったのだろう。
だが、それは、静雄の中のどこかを直撃した。
話していたのはなんだったかと考えて、あの思い出すのも胸糞悪いノミ蟲に関する愚痴だったと思い出して。
いつもだったらキレかけるだろうに、静雄は目を丸くして硬直した。
直後失言を謝った先輩に慌てて平気だと告げて、でもずっと頭の中ではぐるぐると考えていた。
そうして行き着いた結論は――。

「ありえねぇ」

自分――平和島静雄は、折原臨也が好きらしい。
ありえないのにありえてしまったこの気持ちをどうしたらいいんだろうか。
深く溜息をついて、空を睨む。

「なんでよりによってあいつなんだよ」

一番好きになってはいけない相手だろうがと自分に文句を言ったところで、もう遅い。
意識した途端、相手の顔を思い出すだけで鼓動が激しくなる始末で、正直自身の正気を疑ってしまうほどの状態だった。

「っ!」

ざわりと全身が粟立って、意識がそちらへ向かう。
…臨也だ。他に静雄がこんな風になる相手はいない。
慌てて首を巡らせると、通りを歩いてくる男の姿を見つけた。
雑踏の中ですら一瞬で見つけられる自分にうんざりしながら、睨みつける。

臨也はいつかの来良の学生と歩いていた。
臨也が喋って、それに相手が何かを返す。その光景に、無意識に拳を握ってしまう。
いつもだったら追いかけて池袋から追い出すシーンだが。
今日はさすがにそういう気になれなかった。
楽しそうにほとんど一方的に喋っている臨也を見つめ続ける。が、相手は気づかない。
自分は臨也が池袋にいれば大体分かるというのに、相手は気づかない。
それが今更ながら非常に不公平に感じて、静雄は舌打ちする。
もともと我慢強くはないのだ。

「いぃざぁやぁくーん?なぁんでここにいやがるんだ手前ぇ?」

自分に気づかない臨也に苛々しながら歩を進め、目の前に立つと。
相手はにやにや笑みを浮かべて、首をわずかに傾げた。
…可愛いなんて思ってねぇからな!と誰にともなく内心で抗弁する静雄。
っていうか気づいてたんなら何か反応くらいよこせと思ってしまうのは、我侭だろうか。

「やあ、シズちゃん。俺を見つけたのにゴミ箱も自販機も飛んでこないなんて珍しいね?」
「うっぜぇ…」

なんで自分はこんなのが好きなんだ。
ギリリと奥歯に力を込めて、睨む。

「?シズちゃん今日は大人しいね?どうしたの?まさか具合が悪いとか?まあシズちゃんに限ってそれはないか。あ、でも何か拾い食いしたとかならありえるかな?」
「っ…うるせぇうぜぇ黙れ、黙らねぇと今すぐ殺すッ」
「ははっ、怖い怖い」

じゃあねと学生に声をかけてからくるりと身を翻して走り出した臨也に、静雄は反射的に追いかけようとして。
「静雄!そろそろ次いくぞ!」
と、声をかけられてすんでのところで思いとどまった。

「トムさん…」
「おー、大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫ッス落ち着きました」

苛立ちが先に立ったせいか、怒りは感じていない。
素直に頷いて、なら行くべと歩きだしたトムの後ろに続く。

「しっかし、今日のお前さんなんか大人しいな」

そう唐突にふられて、瞬いて。
静雄はトムさんにならいいかと思って、昨晩からの悩みを打ち明ける。

「…なんか、俺好きなやつができたらしいッス」
「何で伝聞形なんだよ」
「…はぁ…」
「元気ねぇなぁ」
「すみません…」

静雄の様子から何か察したのだろう。
特に何か聞いてくることもなく、目を瞑ったトムはう〜んと唸って。
そして。

「んー…よし!静雄、お前にこれをやろう」

どこから取り出したのか。
一冊の本を静雄に押しつけてきた。

「?なんスか?これ」
何も持っていなかったはずなのに?と疑問に思いながらもとりあえず問えば、にやりと笑ったトムが言う。
「おまじないの本だ」
「…おまじない?」
「恋の成就のおまじない特集。静雄の恋が成就するように俺も祈っててやるよ」
「……はあ…アリガトウゴザイマス」

貰ってもなぁ、そもそもノミ蟲相手に成就とか…。
そう思ったけど、トムさんの気持ちだと思い直す。
もう一度礼を言って、受け取って。
その日、静雄は相変わらず臨也のことばかり考えながら、その本を本棚にしまった。
そのまま使うことはないだろうと忘れていたそれに静雄が手を伸ばしたのは、それから6日後のことだった。







「こ…れで、いいのか?」

紙に歪な円を書いて、なんだかよく分からない文字?らしきもの?を書いて。
静雄はトムに貰った本とそれを見比べる。
たぶん大体合っているんじゃないだろうか。
おまじないなど気休めなのだから、多少間違っていても問題ないはずだ。
そう考えて、もう一度手順を読み直す。

なんで使うはずないと思っていたそれを引っ張り出してこんなことをしているのか。
その理由は静雄にとっては明白。
ここ一週間、臨也のことばかり考えてどうにも落ち着かなかったからだ。
本当に寝ても覚めても思い出すのはあのムカつくノミ蟲のことばかり。ついには夢にまで――どんな内容かはあえて言わないが――ノミ蟲が登場するに至って、静雄はついに音を上げた。
そして、藁にもすがる思いで尊敬する先輩から貰った本のおまじないを試すことにしたのだった。
ほぼすべてが恋の成就に関するおまじないであるらしいその本をとてもではないが全部を読む気にはならなかったので、適当に開いたページのものを試すことにして。
そうして完成した魔方陣もどきに、静雄は何かをやり遂げた顔で満足げに息を吐き出す。

「あとは、血を一滴…?最近のおまじないってなんか怖ぇことすんだな」

なんか呪いっぽくねぇ?とか思いつつも、指を少し歯で傷つけて滲んだ血を円の中央に擦り付ける。
と。

「!?何だよこれ!?」

もうもうと湧き上がる白い煙。
驚いて慌てて煙を消そうとした静雄は、伸ばした手を掴まれてぎょっとした。
掴まれる?掴まれるって、誰に?何に?
予想外すぎる事態にヒクリと喉が鳴る。ホラーは苦手なんだ勘弁してくれと思って思わずぎゅうっと目を瞑る。

「あーもう!呪文もなしの簡略召喚でいきなり呼びつけるとかどういう料簡なの?近頃の人間はなってないっていうか」

聞き覚えのある声だ。
恐る恐る目を開けると煙は跡形もなく消えていて。
代わりに、そこには静雄の悩みの原因がいた。

「…シズちゃん?」
「の、み蟲?」

きょとんと静雄を見上げる男は、どうみても折原臨也だ。
いつも通りの黒づくめの格好でいつも通りの背筋がざわつく匂いをさせる男が、臨也でないはずがなかった。

「うっわぁ、何?どういうこと?なんでシズちゃん?っていうか本物だよね?そっくりさんとかいうオチじゃないよね?」

ペタペタ触られて、はっとして慌ててその手を引き剥がす。
顔赤くなってないよな?大丈夫だよな?
そう自問自答して、ふと、ようやく静雄はあることに気がついた。

「なんで…つか、手前どこから出てきやがった!?」

もっともな疑問が真っ先に出なかったのは、たぶん突然現れた想い人の姿に動転していたせいだろう。
わけが分からぬまま叫ぶ静雄に、対する臨也は眉をしかめて溜息をつく。

「煩いなぁ、君が呼び出したんだろ?」
「ああ!?」
「…煩いってば」

いまだ混乱中の静雄と違って、臨也は冷静そのものだ。
迷惑そうに耳を塞ぐ仕草をして、それから視線を足元――静雄が描いた変な魔方陣もどきに落とす。

「だから君が俺を呼び出したの。まさか君に悪魔を呼び出してでも叶えたい願いがあるなんてねぇ?君ってそういうのは絶対しないタイプだと思ってたよ」

また溜息ひとつ。
足元のそれを屈んで拾い上げて、臨也は複雑そうに紙を眺めた。

「…………あくま…?」
「?…そうだよ?なに?自分で呼び出しといてその変な顔」
「おれは、おまじないをしてただけだぞ…?」

臨也の言葉を反芻して、日常ではそう聞くはずがない単語が引っかかって静雄は首を傾げる。
確かにまるで呪いだとは思ったけど、自分がしていたのはおまじないであって悪魔とかそんなものは一切関係ないはずだ。

「おまじない?」
「おう。ほら、これ」

紙を片手に静雄と同じように首を傾げた臨也に。
静雄はほらとトムから貰った例の本を掲げてみせる。

「………シズちゃん、これ、誰に貰ったの」
「トムさんからだ」

問いに答えれば、臨也の顔が顰められた。

「…ああそう。そういうことか」
「おい?ノミ蟲?」
「シズちゃん、これおまじないじゃないよ。おまじないはこっちのページ。で、君がやったこれは悪魔召喚…っていうか、そもそも何で悪魔召喚なんて載せてんの…しかもシズちゃんの描いたやつ間違ってるし」
「………」

ここちゃんと読んでみようねと指差されて読んでみれば、そこには確かに悪魔がどうとか願いがどうとか書いてある。
あー…と声を出す静雄に、臨也は呆れた視線を向けて、君説明書とか読まないタイプだよね、と呟いた。

「まあいいや。呼ばれた以上俺も何もしないで帰るわけにいかないし、それにお願いを叶えたらシズちゃんの魂も手にはいるからね!さあ!何が望みなんだいシズちゃん?」

にっこり笑ってさあ!と言われたって、こっちは全然状況を飲み込めていないのだ。
そもそも魂とかやらねぇよマジで言ってんのかこの馬鹿は。
先程の臨也とは種類の違う重い溜息をついて、静雄はビシッと玄関を指差した。

「……帰れ」
「ん?それが望み?」
「ち が う !手前にお願いすることなんざ何もねぇよ!」
「えー…でも俺望みを叶えないと魂取れないしなぁ」
「やるって言ってねぇよ!っていうかホントに悪魔なのかよ手前!?」
「うん。本当に悪魔だよ?新宿の素敵で無敵な情報屋さんは仮の姿。ま、こっちでずっと暮らしてるから、しばらく故郷には帰ってないけどさ」

さらりと答えた臨也の目に、嘘の色はない。
本能的にそれを感じ取った静雄は眉間に皺を寄せる。

「…クルリとマイルも悪魔なのか?」
「あの子たちは人間だよ」
「?…どういうことだ?」
「別にいいだろそんなこと。それよりお願いは?」
「ねぇよ。つか帰れうぜぇ」
「えー」

出ていけともう一度示すと、少しの間考えて。
それから、自称悪魔は頷いた。

「……はあ、まあいいよ。分かった。帰って出て行く支度するよ」
「は?出て行く?」
「うん。基本的に俺達契約した人間以外には正体知られない方向で生きてるからね。ばれたら引越しするしかない」
「…記憶を消すとかできねぇのか?」
「できるけど、そんなことに無駄に魔力使いたくないし。シズちゃん俺のこと誰かに言い触らしたりしないだろ?」

俺無駄なことはしない主義なんだーとのたまうのを見下ろして、静雄は臨也の言葉を考える。
今帰せば臨也は引っ越しをするつもりでいるらしい。つまり、おそらく、静雄の前から完全に姿を消すということになる。
……臨也がいなくなる?
例えば、一週間前の自分だったら歓迎したかもしれない事態。今だって、離れてしまえば時間が臨也に向かうこの気持ちを忘れさせてくれるかもしれない。
だが。その前に耐えられなくなるのは、この一週間でもう分かっている。臨也がどこで何をしてるか。考えて落ち着かなくて、忘れるまで耐えられるわけがない。
くそっと心の中で唸って、静雄はまっすぐ臨也の目を見た。

「………保留だ」
「はい?」
「願い事は保留。決まったら言うから、それまでどっか行くんじゃねぇ」
「え?嘘…ホントにお願いする気?叶ったら魂取られちゃうんだよ?」
「…分かってる」

重々しく頷けば、臨也はぽかんと間抜けな顔を晒して静雄を見つめる。
待つことしばし。
ようやく静雄の言葉を咀嚼して飲み込んだ臨也は、ふうんと呟いて目を細めた。

「へえ…どんな風の吹き回しか知らないけど、まあいいよ。願い事が決まったら呼んでよ。名前を呼べばどこからでも駆けつけてあげるから」

にっこりと自称悪魔が笑う。
その顔についつい見惚れてしまって。
静雄は慌てて首を振って目を覚まそうとした。
これは悪魔だ。こっちの心なんかもうとっくに見通して、わざとこんな表情をしているのかもしれないじゃないか。
ぶんぶんと首を振り続けていると、臨也が不思議そうな顔をする。

「シズちゃん?」
「あー…何でもねぇよ」
「ふうん…まあいいや。ね。ところでさ」
「あ?」

ねぇねぇと好奇心たっぷりに目を輝かせた相手は、明らかに狙っているとしか思えない笑みを満面に浮かべて。
そして、言った。

「君、一体何のおまじないしようと思ってたの?」

その問いに。
静雄はびしりと固まってしまったのだった。












※受難の日々の始まり…?