おおかみさんを誘惑















それは、人の膝を枕にしてころりと寝転ぶ臨也の髪を撫でながらのんびりとテレビを見ていた時のことだった。

「シズちゃんシズちゃん」
「あ?なんだ?」
呼ばれて、俺は視線を下ろし臨也を見る。
見上げる臨也は、無邪気な子供みたいな顔で…いや、まあまだ子供だけどな。とにかく、そういう顔で、俺を見上げて、そして、言った。

「シズちゃんってキスしたこと、ある?」
「あ…?」

一瞬何を言われたかわからず、間抜けな声が出る。
そんな俺を笑って、頬に向かって手を伸ばして触れて。
臨也は小さく首を傾けて、もう一度問うた。

「だからー、キス、したことある?」

…どう答えりゃいいってんだ。
そりゃ、俺だってもう24年生きてるんだ。彼女だっていたことはある。…まあ、それも高校の一時期だけだけどな…。
「……ある」
じっと俺を見つめる目は何を期待してるんだろうかと考えながら、嘘を言っても仕方ないので正直に答えると。
「ふぅん…」
臨也はなんだか妙に不満そうに眉を顰めた。

「ねぇ、シズちゃん」
「おう」
「ちゅーして?」
「お……あ…?」

ちゅー?ちゅう?ちゅーって、あのちゅう?

「…ああっ!?」
思わず叫んだ俺に、臨也の顔がさらに歪む。
「煩いなぁ。大声出さないでよ」
「だ、おまっ、何言って!?」
「いや、俺キスしたことないんだよね。でも興味はあるし」

そう言って身を起こして、俺の顔を覗き込むその目は、本気だ。
そっと頬を撫でて、それから徐々に近寄ってくる顔。
おいちょっと待て!それはやばいだろっ!

「いやいやいや!待て臨也!そう言うのは本当に好きな奴とするもんであってなっ」
「んー…でも、俺って好奇心抑えられないタイプだし」
「だからって何で俺と…っ」

アワアワと慌てながら肩を掴んで押しとめようとする俺に。
意外にも、臨也は溜息をついてすっと身を引いた。

「はあ…いいよわかった」
「そ、そうか。それはよか」
「誰か適当な人探してしてみる」

――はい?
え、ちょっと待て。なんでそうなる。っていうか、適当な人ってどういうことだおい!?
じゃあ俺帰るね、なんて言って立ち上がろうとしたやつの手を慌てて掴んで止める。

「あ、なっ、ちょ、まて!」
「なに…?シズちゃんしてくれないんでしょ?なら止めないでよ」
「っ………手前」

キツい眼差しで睨んでくる臨也は、本気だ。
その目に俺をからかう色はない。
…俺が、それを許容できるとこいつは思ってるんだろうか。いや、こいつは俺の気持ちなんか知らないんだから、思うも何もねぇだろうけどな。だけど、こいつの唇に俺以外の誰かが触れるとか、俺が耐えられるわけがねぇだろうがッ。

「〜〜〜〜っ………してやる」

臨也以上にキツい眼差しで睨んだまま言うと、途端、臨也はぱっと顔を輝かす。
ん?え…あれ?ひょっとしてこれ嵌められたのか?……ばれてないよな?俺の気持ち…?

「え!?ホント!?嘘じゃない?おでことかほっぺたじゃないよ?ちゃんと口と口でするやつだよ?」
なんだか、明らかに嵌められた気配にうううと唸ってしまう。
だけど、嬉しそうに満面の笑顔をされては、いまさらやっぱり止めだと言えるわけもなかった。

「…してやるから…黙れ」
「うっわ、マジ?」
「…うるせぇ」

掴んだままの手に力をこめて、引き寄せて。
俺は臨也と向かい合う体勢になった。
期待にキラキラと輝く瞳は、特徴的な赤。
まだ幼さの伺える丸みのある、だけど整った顔立ちに、白い肌。
…キスするってのか?このきれいな生き物と?
………。
…やべえ静まれ心臓。
意識したら、急激に心音が高まって、俺はごくりと喉を鳴らした。
…好きなやつにキスしろって言われて落ち着くなんて実際問題無理だ。

「目、閉じたほうがいいの?」
「お、おう。できれば」

…その方が俺の心臓がいくらかマシだと思う。
俺の言葉に従って素直に目を閉じた臨也は、いわゆるキス待ち顔だ。
ホント、やばい。心臓痛ぇ…。
一度深呼吸して、それから覚悟を決めて。ドキドキしながらじわりと顔を近づけて…。


ピンポーン。


安っぽい音は耳を打つ。
「っ!!!」
心臓が跳ねて、バッと離れる。
同時に臨也も離れたようだが、その顔はうっすら赤い。
瞳も目のやりどころに困っているのか困ったように揺れていて――。
…やべえその顔マジでキスしてぇ。
ぞくりと湧き上がる衝動に、一瞬手が伸びそうになった。
「っ…悪ぃ。客だ」
とにかく自分を落ち着かせるためには、離れるのが一番だ。
そう判断して、臨也から視線を引き剥がして玄関へ向かうことにする。

「…あ、ちょっとシズちゃん!」

後ろから臨也が呼び止めようとするが、今はダメだ。
あああ、畜生。タイミングが良いのか悪いのかわからねぇけど助かった!
そう思ってしまった度胸のない俺は、
「………ちぇ、残念」
この時耳に届いた臨也の小さな呟きの本意には、結局気づけなかったのだった。












※翻弄されるおおかみさん。そろそろ少し進展して欲しいところです…