32.言ったら、そこですべて終わりだと思っていた











side:S





腕の中に捕らえた体に、自分がどれほどこの存在に飢えていたのかを知る。
触れた体温に体が震えた。
このまんま離したくねぇな、とそんなことを考えながら。
不安げに呼ばれた自分の名前に、知らず詰めていた息を吐き出す。

「離さねぇよ」

離すかよこの馬鹿、と抱き込んだ臨也の耳元で告げる。
離してやる気なんかない。
好きだと言われた。なら、俺は諦めてなどやらない。
「臨也」
呼んだ途端、状況を理解したらしい臨也が暴れだす。

「は、なせっ、このっ」
「聞け!」
「やだっ」

やだやだやだとガキみたいに叫ぶ臨也を出来る限り注意して押さえ込んで。
俺は臨也の顔を無理やり覗き込んで、問う。

「何が嫌なんだよ」
好きなら、それじゃダメなのかよ。
そう問いかける。

「…だって、こんなの、俺じゃない」
「あ?」
「こんなふうに、誰か一人で頭がいっぱいになるとか、そんなのはダメなんだ」
「……」

はあ、と溜息が漏れた。
途端キッと睨んでくる臨也。
いや…別に馬鹿にしたわけじゃねぇから睨むな。

「俺だって同じだ。恋なんて…たぶんそんなもんだろ?」
「そうかもしれないけど、俺は――」
まだ何か言う気らしいが、そんなものを聞く気はなかった。
うざったいだけの屁理屈など聞いてやらないと決めて、
「だぁああ!うだうだ言ってんじゃねぇよッ。好きなら好きで、それでいいだろうが!」
そう叫んで遮ると、
「良くない!」
と怒鳴り返してくる。
まあお前にとっては良くねぇだろうけどな。
俺にとっては、その方がいいんだよ。難しいことは置いといて、好きなら好きでいいだろうが。

「いいんだよ。むしろ俺でいっぱいになっちまえよ」
「……なにそれ。迷惑なんだけど」

不愉快だと吐き捨てる臨也の目を見ながら、小難しいことは考えず、ただ思うままを告げる。

「大体なぁ。俺はとっくに手前でいっぱいなんだよ。不公平じゃねぇか」

真剣にそう言った俺に、臨也は何度か瞬いて。
それから、ぼっと音がしそうな勢いで真っ赤になった。
…何だかマンガみてえだな。

「な、なに…そんな恥ずかしいこと真顔で言っちゃってるのさ」
「言わないと分からないみたいだからな」
「ッ」
「なぁ、臨也。好きだ」
「………」
「おい」

今度はだんまりかよ。
少しは人の話を真面目に聞けよ。
そう多少の苛立ちを覚えながら、それでももう一度好きだと言ってみる。
今度は、反応があった。
「分かった、から」
言うな、と掠れるような声で言って。
臨也は真っ赤な顔のまま、静雄を睨む。

「今、俺がどれくらい揺らいでるか、君に分かる?」
「………」
「俺は君に会うまでここまで揺らぐなんてなかったんだよ。自分らしくない。それが、不安なんだ」

ふるりと睫毛を揺らして目を伏せるその顔を見詰めて。
俺はどう答えるべきか思案する。
だが、考えたところで俺には臨也の悩みはこれっぽっちも理解できやしないのだ。
それが分かっているから、思索は早々に放棄した。ただ正直に自分の気持ちを吐き出す。
「俺には難しいことはわかんねぇけどよ。でも、俺も不安だった。あの夜に手前に触れてから、ずっと、不安だったんだ」
事実、すごく不安だった。だから態度も硬化してしまったし、それが臨也が家を出た原因になった。
「手前に嫌われるんじゃないかって、いなくなるんじゃないかって、すっげぇ不安だった」
だけどな。それでも。

「それでも、俺から離れる気はねぇんだよ」

そう言って、しばらく臨也の反応を待つ。
だが、何も言わない。ただ独特の色をした瞳は探るように俺を見詰めている。

「臨也」
「………」
「苦しくても認めろよ。俺は手前が好きだから不安でも離れたりしない。手前が俺を好きだって言うんなら、俺は手前から絶対離れてやらねぇ」
「…………説得、できると思ってるわけ?」
「する」
「…………」

臨也がその時何を考えてたのかは、正直俺には分からない。
ただずいぶん長く、たぶん時間にして2、3分はじっくりと何かを考えて。
臨也はゆっくりと息を吐き出した。

「もし俺といることを後悔する日が来ても、離れない?」
「…後悔するようなことをする気なのかよ」
「考え中」
「…まあ、あれだ。とりあえず離れねぇでいてやるよ。いざとなったら、ぶん殴ってでも止めさせてやる」
「…暴力は、遠慮したいかな」

臨也はようやく表情を緩めて、くすりと笑う。

「シズちゃん、俺はね。人間を愛してるんだ」
「…あー…そういや、前にそんなこと言ってたか?」
「…シズちゃんに記憶力を期待した俺が馬鹿だったよ」
「手前な」
「とにかく俺は人間を愛してる。でも、シズちゃんが好きなんだ」
「…………」

話が見えねぇ。
そう思う俺を気にした様子もなく、臨也は言葉を続ける。

「トクベツな人間なんていらなかったのにさ」

呟く言葉は自嘲の響きを宿して重く。
真っ直ぐに俺を見て、息を吐き出して。

「だから、責任、とってよ」

そう言ってから。
困ったようなそんな顔で笑う臨也を、我慢できずに抱き締め直していた。
痛いと文句を言うのも構わず、溢れる感情に任せて何度も好きだと囁けば。
臨也はまた顔を赤くして、上目遣いに睨んでくる。

「もう黙れ。喋るな」
「好きだ臨也。責任くらいいくらでも取ってやる」
「だから」
「好きだ」

ああもう。と唸って、臨也は俺の胸に顔を埋めてしまう。
だが、覗く耳まで真っ赤なのであまり意味はないように思えた。

言ったらそこですべてが終わりだと考えていた俺に言ってやりたい。
さっさと言っちまえって。
そうすれば、こんな臨也がもっと早く見られたのだろう。
もったいないことをした、と思いながら、臨也の背を撫でる。

「臨也」

また好きだと囁くと、分かったからもう言うなと胸を力の入らない手で叩いてくる。
その仕草がとても同い年の男のものには見えず、ついつい笑いが零れる。
やっぱりもったいないことをしたと、本気でそう思った。












※終わりが始まりになると知っていたら、もっと早くこうして抱き締めてやれたのに。