31.追って追われて、











side:I





(愛なんてものが、俺に注がれる可能性はないと、そう思っていた)








どこへ行こうか、と考えて。
俺は行き場所がない自分を思い知る。
自分の家には戻れない。
九十九屋の元へ戻ってもいいかもしれないけれど、からかわれて馬鹿にされるのは嫌だった。
あれほど求めたものを諦めようというのだ。馬鹿にされても仕方なかったかもしれないけれど。
シズちゃんが好きだ。でも、だから、もう限界だった。

「…隠れ家に行くしかないか」

職業上、用心のためにいくつか借りているマンション。そのどれか一つに、隠れてしまうのがいいだろう。
そう考えて、どこに行こうか、と考えた時。
視界の端に、彼が映った。
なんで…、と声が漏れる。
だって、シズちゃんが追いかけてくるとは考えていなかった。一方的に拒絶して、手を振り払ったのだ。俺とシズちゃんの関係を考えれば、追いかけてなどこないと、そう、思っていたのに。

「…ッ」

逃げなければ。
焦りながらもそう思って。
慌てて駆け出す。
たぶん、この時の俺は相当冷静さを欠いていたのだ。

「臨也!待て!」

そう言われても、追われているのに待てと言われて待つ馬鹿はいない。
必死になって足を動かす俺は、パニックを起こしていた。
とにかく今は顔を合わせたくない。
その気持ちだけで走って、走って、走って。
「ッ!」
真横を通過した物体に。
足が止まった。
俺の目の前、ビルの壁に突き刺さるそれは、標識だ。
…しかも止マレの標識。
ねじ切られたみたいになったそれは、今まで俺に向けられることがなかったシズちゃんの暴力に他ならない。
何だか鼻がツンと痛くなって、俺はそれを振り払って、後ろを振り返った。

「…シズちゃん、これはないよ。当たったらどうするのさ」

はっきりと、拒絶の意志を込めて睨めば。
俺の足が止まった隙に至近距離に迫っていた男は息を整えながら、首を振る。

「当てるわけねぇだろうが」
「……」

本当だろうか。そう思いつつ、そろりと足を動かした。
近づきすぎた。逃げられるだろうか。
どうすればシズちゃんに捕まらないで逃げられるか考えながら、俺は息を詰めてタイミングを探る。

「ッ!」
「逃げるな」

伸ばされた手に、とっさに逃げようと身を低くしたが、それより一瞬早くシズちゃんは俺の腕を掴んでいた。

「離せ!」
「暴れるな!俺の話を聞けこの馬鹿!」
「嫌だ!」

離せと暴れる俺にじれたのか、シズちゃんはチッと舌打ちしてもう片方の腕まで押さえ込んでくる。
結果、真正面から合わされることになった視線。
慌てて逸らそうとした俺に、シズちゃんはほとんど叫ぶような声で言った。


「好きなんだ!」


―――は?
今、なんて言った?
思わずシズちゃんの顔を見上げて呆けてしまった俺に。
シズちゃんは苦しそうな顔をする。
そして、もう一度言う。

「俺は、手前が好きなんだよ、臨也」
「は?何言っちゃってんの?馬鹿?」

そう言った俺は悪くないと思う。
だって、俺が好きとか相当趣味が悪いし。何の冗談だって思うだろう?
でも、シズちゃんはそうじゃなかったらしい。
真剣だった顔が険しくなる。

「手前…俺は真面目に言ってんだ」

声に冗談の色は一切なかった。
「っ」
「聞け、臨也」

やばい。そう、思った。
これ以上この男の話を聞いてはいけない。
恋なんて俺には無理だと思ったばかりなのに、その言葉に縋ってしまいたくなる。
それではダメなんだ。俺が俺でなくなるような、そんなことは許容できない。だから、シズちゃんとはいられない。

「っ、離せ!」
「おい!?」
「何で、そんなこと言うんだよ!俺は…っ…もう諦めようって思ってたのに!」
「お、おい…ちょっと待て、手前が何を諦めるってんだ…?」
むしろ諦めなきゃなんねぇのは俺じゃないのか?
戸惑うようなシズちゃんの声と顔。
もう嫌だ。見ていたくない。苦しいんだよ。分かってよ。
一緒にいても離れても苦しくて、一人の人間に頭の中が占められる。そんなのは、嫌なんだ。
ぷつり、と何かが切れた気がした。
どれだけ暴れても離してくれないシズちゃんを睨みつけて、俺はすべて暴露してやると口を開く。
…自棄を起こしている自覚は、あった。

「俺は、俺もっ、シズちゃんが好きだったんだよ!」
「……嘘だろ…?」
「っ、ホント、だっ…でも、俺は、もう、止める」
「臨也?」
「こんな苦しいの、やだ。耐えられない…」
「…臨也」
「俺は!君を逃がしたくなくて、人を雇って君を襲わせて借金が増えるように仕組むような、そんな奴なんだよ!」

言ってしまって、すっきりした。
嘘をついて優しいふりをするのはもうおしまいだ。
俺はこういう人間なんだ。そう真っ直ぐシズちゃんを見つめて、告げる。

「俺は、君にふさわしくない。子供みたいな独占欲で馬鹿みたいなことして…っ…裏で君に一杯酷いことしてきたんだ。そのくせ、自分が変わってしまうのが怖くて、今度は身勝手に君を捨てようとしてる。分かる?俺は本当に最低な人間なんだよ」

不覚にも泣いてしまいそうで、それを堪えて、深く息を吐いた。
じっと俺を見るシズちゃんが何を考えているのかは知らない。知る必要も、ない。

「だから、もう、離して。見捨てちゃってよ、こんな奴」

そう、決別の言葉のつもりで言った。
なのに。
「ッ!?しずちゃ」
いまだ捕らわれたままの両腕を引っ張られて。
何故か、俺はシズちゃんの腕の中にいた。
ぎゅうっと抱き締められて、そのあまりの唐突さにもがくのも忘れて目を瞬かせる。

「…しず、ちゃん?」

呼びかけに、腕の力が強まった。
俺より高いその体温が心地よくて、ああやっぱり好きだ、とぼんやりと考える。
でも、手放さなくちゃいけない。
そう思って、キリキリ痛む胸を無理矢理無視して、押し返そうとして。
出来なかった。

「離さねぇよ」

離すかよこの馬鹿、という熱を帯びて掠れた声が鼓膜をふるわせて。
俺は堪えきれず目をきつく閉じてしまったからだ。












※なんで、君がそんな声出すのさ。