恋する怪物 後日談2-2
※2010年ハロウィンネタの続編。「…で、臨也に逃げられたわけかい」
「あの野郎全然捕まんねぇんだよ」
苛々とした様子を隠さずに唸る静雄に。
新羅はふうと溜息をついた。
「あのさぁ、静雄」
「…?」
「君は今まで臨也のことすぐ見つけられてただろうけどさ。あれって臨也が本気で逃げてなかったからなんだよね」
「あ?」
静雄は意味が分からないというように首を傾げる。
「臨也は人狼だから君よりずっと鼻がいい。本気で逃げれているのなら君に見つけることは不可能だよ」
「…んなこと」
「あるんだよ。君の匂いが近づいたら逃げるだけでいい。臨也の鼻なら君が池袋のどこにいるかくらい完璧に把握してるだろうね」
新羅の言葉に、諦める気はない静雄は黙り込んで考えている。
それを眺めて溜息を一つ。
それより臨也が何で逃げているのか考えればいいのに。
そう思ったが口には出さないでおいた。
所詮、部外者が口を出しても仕方ない当事者だけの問題だからだ。
だから、新羅はただ、臨也も大変な男に好かれたものだと苦笑して。
今も街の何処かを彷徨っているのだろう人狼の姿を思い浮かべただけだった。
「なんか方法ねぇのか」
「うーん…臨也の鼻をごまかすのは難しいと思うよ?」
何しろ狼の鼻だ。
そう言えば、静雄はくそっと吐き捨てて頭を抱える。
「臨也の妹二人に協力してもらえば?」
「この前そのせいで捕まったからな。たぶん警戒してるだろ」
「……ホント、臨也は眷族に対して甘すぎだね」
静雄にしろあの双子にしろ、臨也は眷属に甘すぎると新羅は溜息をつく。
本来であれば、臨也は眷属を完全に支配することだってできるはずなのだ。
例え契約にそういう内容が含まれていなくても。
それこそ、あの妖刀――罪歌のように。
でもしない。臨也は彼らのしたいようにさせている。
「これも一種の愛情なのかなぁ」
「あ?」
「こっちの話だよ。それで臨也を捕まえる方法だけど――」
「――それで?」
苛立ち混じりに声でそう言われて。
静雄はたじろいだ。
新羅に提案されたのは極めて単純な方法だった。
携帯で連絡を取って、ちゃんと話し合いたいと伝える。ただそれだけ。
臨也が応じるかどうかは賭けで、辛うじて賭けに勝ったものの状況はさして変わっていない。
新羅からは臨也を本気で怒らせないようにと忠告された。
仮にも神の使いあるいは神そのものとして崇められた生き物だ。それに見合う能力は持っている。そう聞かされた。
だから、手を出しあぐねているのが現状だ。
「臨也、手前が何で俺と一緒に居たくねぇのか、話してくれないか?」
「嫌だ」
そう切り出してみるが、きっぱり断られてしまう。こうなっては静雄には打つ手がない。
どうすればいいと次の言葉を探すが見つからず困った静雄は、うーうーと唸る。
犬か君は、と溜息をつかれたがそれにすら気付かぬほど真剣に考えて。
結局答えを見つけられないまま視線を上げた。
じっと静雄を見詰める独特の色の瞳は剣呑な気配を滲ませている。
困った。そう思った時、臨也が身じろいで、静雄はつい無意識に手を伸ばしていた。
「…ちょっと、何してんのさ」
「あ、いや、その…ええと、だな」
しどろもどろに言い訳を考える静雄。
おそらく逃げられると思って反射的に捕まえてしまったのだろうが、言えば機嫌をますます損ねそうでそれは口に出来ない。
うろうろと世話しなく視線を動かす静雄に。
それを彼の腕に囲われた状態で呆れた視線を向けて眺めていた臨也はふうと息を吐き出す。
あまりにも突然な静雄の行動を臨也はあえて避けなかった。
それは、逃げねばという危機感より、どう出るのかという興味と触れられたいという感情を優先した結果だった。
「シズちゃん、俺は大人しく君の言うことを聞く気なんかないよ」
「あー…だろうな」
「監禁だってされてやる気はない」
「……だろうな」
「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
大体君はいつもそうやってろくに人の話を聞かないんだから…とか何とか。そんな文句を続ける臨也を見詰めて。
静雄はよく回る口を閉じさせるにはどうすればいいのかと考えていた。
睨みつける視線は鋭いが、静雄にとっては臨也の視線は恐れるようなものではない。
だから、文句などろくに聞かずに手で覆って黙らせるのが一番手っ取り早いか、と考えていまだ喋り続ける口を凝視する。
そして、目が離せなくなった。
喋るたび動いてちらりと覗く赤い舌が。柔らかそうな唇が。
何故か妙に気になる。
自覚は唐突で、そして、衝動を抑えるには静雄は感情の抑制が効かないタチだった。
「なあ…」
「何かな?」
「こんな状況で、言うべきじゃねぇって…分かっているんだけどよ」
「何?」
苛々とした視線を受けながら、それでも静雄は言う。
「キス、していいか?」
ある意味最高に空気を読まない発言は、言われた当人が思わず目を丸くしてこてんと首を傾げてしまうようなのものだった。
「…君はどれだけKYなのかな」
唖然とした後、そう唸った臨也に。
静雄は悪い、と言いながらも腕を解く気はなかった。
「臨也…その、ダメ…か?」
さらに問えば、心底呆れたといわんばかりの溜息をつかれる。
「あのねぇ君……ああもういいや馬鹿馬鹿しい…」
「…っ」
「してもいいけど、そんなお伺いだけでそんな真っ赤になっててできるわけ?」
呆れた視線はそのままに逆に問い返されて。
静雄はうっと詰まって、そのまま視線を泳がせた。
残念ながら生まれて24年、静雄にはいまだにキスの経験などなかった。
「た、たぶん…?」
曖昧な返答に相手は胡乱気な視線を注いでくる。
それにさらに落ち着かない気分になって俯く静雄。
対する臨也は、あーあ、なんだかなぁと思いながら家出した自分の行動を馬鹿馬鹿しく思っていた。
奥手なのは分かっていたのだ。我慢の限界だったのは事実なので家出はある意味正解なのだが、どうにも自分が大人げなかった気がして落ち着かなくなる。
「…していいよ」
「あ、う…お、おう」
君はオットセイか。と呟いて、臨也は近づいてくる顔に目を閉じた。
だが。
「…シズちゃん、まだ?」
「うえ、え、あ…わ、分かってる」
焦った声はごく至近距離で。
どうやら覚悟の決まらないらしい静雄にわざとらしく臨也が溜息をつくと、待て!今する!とさらに焦った声を出してくる。
「す、するぞ」
「はいはい、どうぞ」
ん、とキスしやすいようにあごを上げてやれば、意を決した静雄がそっと口付けて来た。
柔らかい、唇を押し当てるだけのキスだ。
怯えるようにすぐに離されたそれに、臨也はイラッとして目を開ける。
「ああもう、じれったいなぁ」
「ん、ぅっ!?」
苛立ちを多分に含んだ声音を出して、静雄の唇に軽く歯を立てて。
怯んで開いた口に舌を強引に侵入させる。
「っ…ぅ、…っ」
くちゅ、と唾液の絡む音。
ぞくりと背筋を震わせて、静雄は眉を寄せて馴染みのない快感に耐えていた。
それでもついついぎゅうっと臨也の背に回した手に力がこもってしまうのが伝わって、それを低く笑われる。
「っは…シズちゃん、かわいい」
「うっせ…っ」
開放されて、言われた科白に静雄はさらに赤くなった。
ああ可愛いなぁと思いながら臨也は濡れた静雄の唇を指で撫でて、誘う。
「もういっかいしよ?」
「っ、お、おう!」
びくりと大きく背を揺らして、それから恐る恐る唇を寄せる静雄に臨也はくっと笑った。
すでに3回目であるというのに、まるで慣れる気配のない彼の姿は臨也の目には随分可愛らしく映る。
まあ一歩前進かな、と自分が家出したことをすっかり忘れて満足げに笑んだ臨也は。
まさか、そこから先に進むのに半年以上もの時間が必要だとは夢にも思っていないのだった。