恋する怪物 10
※シズ→イザ。2010年ハロウィンネタの続編。









「――っ」
は、と息を吐き出す。
何とか掴んだ腕。掴めたことにほっとしながら、静雄は臨也を引き上げた。

「…なにしちゃってんのさ」

不愉快そうな声と顔。
なのに、小刻みに震える掴んだままの腕はそれらを裏切っていた。
ホントは死ぬのが怖いくせに。
自分の命を諦めてしまえるのは本当で、実際捨ててしまおうとしてはいても。
臨也は死ぬのが怖いのだ。
でなければ、寂しがりのくせに今までずっと生きてきた理由が分からない。
死ぬ機会は、死ねる機会は、いくらでもあったはずなのに。仲間が一匹もいなくなってしまっても、この人狼はずっと生き続けようとしてきた。
それは、怖いからだ。
そう、静雄は考える。

「馬鹿だろ、手前」

俺のためにそうまでして長らえてた命を捨てようとか、馬鹿だろ。
腕を引っ張って、馬鹿な男を引き寄せて抱き締めて。
静雄は溜息をつく。

「…喧嘩売ってるわけ?いいから離してよ。邪魔しないで」
「手前」

まだ言うかと睨むが、臨也はそんな静雄に諭すような声で言った。

「だってさ、コレが一番いいんだよ?俺が死ねば、すべて解決だ。君は元通りの生活に戻れる。たかが人狼一匹死んだところで世界は変わったりしない」
「…っ、馬鹿言ってんじゃねぇッ」
「放してシズちゃん。君に、俺は似合わないよ」
「冗談じゃねぇッ」

何で分からない。苛立ちながらそう思って、決して離さないとばかりにきつく抱き締めて。
静雄は唸って、思考する。
どうすればこの馬鹿な男の気を変えられるのか。
離せと喚くのを押さえつけながら、ぐるぐる悩んで。
そして、決めた。

「なあ、臨也」
「…何?いいから離してよ」
「こっから飛び降りたってことはよ、お前は死ぬ気だってことだよな」
「……まあ、そうなるね」
「なら、命を捨てたってことだよな?」
「…そうだね」

なら、とまた静雄は言う。
なら、いいはずだ。いらないと言っているのだから、問題ないはずだ。
大きく深呼吸して、静雄は、言った。

「手前が捨てるってんなら、手前の命は俺が貰う」
















静雄の言葉に、帰ってきたのは沈黙。
勝手な宣言に文句を言うでもなく慌てるでもなく。
臨也はただ沈黙していた。

「おい、何とか言えよ」
「………」

答えはない。
静雄の腕の中、何の反応を返さない相手に。
決して気の長くない静雄はすぐに痺れを切らした。

「おいノミ蟲、今すぐ返事しねぇなら了承と受け取るぞ」
「………シズちゃん、いくらなんでもそれは横暴すぎだよ」

脅しの言葉に、はふと溜息をついて。
臨也は顔を上げて深く底の見えない瞳で静雄を見る。

「シズちゃん、俺はすっごく長く生きてるんだ」
「知ってる」
「生きるためにいろいろやってきたし、いっぱい恨みも買った」
「………だろうな」
「俺と居てもいいことないよ」
「知ってる」
「正直に言えば、俺は人間を信用できない」
「…俺は人間じゃねぇだろうが」
「……そうだね」

確かにそうだ。と頷いて、臨也は目を伏せた。
「君は馬鹿だね、シズちゃん」
俺なんかの命貰ってもいいことないよ。
そう呟く人狼は、ゆるゆると首を振る。

「でも、やっぱり俺は」
「臨也」

静雄はまだ死ぬ気でいるらしい馬鹿の顔を両手で掴んで無理やり上げさせた。

「俺は手前が好きだ」
「…うん、知ってるよ」
「正直言うと、俺もなんで手前なんだって思ってる。ムカつくし殴りたくなるようなことばっか言うし、性格も最悪だしな」

でも、と静かな声で告げる。
「それでも手前じゃなきゃダメなんだよ。他のやつにはこんな気持ちになったりしねぇ」
真っ直ぐな視線に見据えられて、臨也は何度か何か言いたげに口を開いたり閉じたりして。
それから、結局何も言わずに溜息をついた。
頬に当てられたままの静雄の手を掴んで外して。
そして、ぽすりと静雄の胸に頭を預けて、一言。

「悪趣味だね」
「…ああ、まったくだな」

頷いた静雄は臨也の背を抱き締め直して言う。

「臨也、俺と生きてくれ」

真剣なその言葉に、臨也は呆けた顔で何度か瞬いて。
それから、まるでプロポーズだねぇと笑って、直後茶化すなと怒られたのだった。
















静雄の胸に顔を預けたまま。
臨也は困ったなと思案する。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、本当に馬鹿だ。
そう静雄を再評価して、細く長い溜息をつく。

――俺といたって、幸せになんてなれないのに。

静雄の真っ直ぐできれいな魂を、汚して穢してしまうのが嫌だった。
臨也の血を飲めば飲むほど、眷族はより『向こう側』の住人へと近づいていく。人として暮らすことが困難になっていく。
普通はたった一度、契約の時にだけ与えるから問題ないのであって、静雄のように何度も与えていれば、いずれは境界線を越えてしまう時が来る。
だから、気付いてしまった気持ちに蓋をして。
一週間彼と暮らした思い出だけで満足してやろうと思っていたのにだ。

「シズちゃんの馬鹿。単細胞。考えなし」

死にたくない臨也が、それでも選んだ結論をあっさり覆そうとしている男。
俺と生きてくれ――なんて、臨也は言われるとは思ってもいなかったのだ。
小さな溜息が何度となく漏れるのも仕方ない。

「ねぇ、シズちゃん」
「何だ」
「俺、シズちゃんのになってもいいよ」

呟きは小さかったが、これだけの至近距離だ。聞こえないということはないだろう。
事実、静雄は息を呑んで固まっている。

「…うそ、じゃ…ねぇよな?」

恐る恐るの問いかけ。
それに頷いてやって、臨也は目を閉じる。
ちょっと大丈夫なんだろうか?と心配になるほど激しい静雄の鼓動に耳を澄まして、笑う。

「シズちゃん心臓うるさすぎ」
「………」
「ちょ、痛い!痛いよシズちゃんギブギブ!」

返事はなく代わりに黙れとばかりに腕の力がきつくなって、臨也は骨の軋む音に思わず喚いた。
いくら人間よりは頑丈な人狼でも静雄の力にかかればひとたまりもない。

「余計なこと言わないってんなら止めてやる」
「…わかった!分かったからホント止めてッ」

これ以上はヤバイと思った臨也の必死の叫びに、静雄はようやく力を緩めてくれた。

「ああもう、とんだDV男に捕まっちゃったなぁ俺」
「…また絞められてぇらしいな」
「冗談です」

脅しの言葉に屈してしまい、先が思いやられるなぁと考えながら。
それでも臨也は、まあいいか、と妙に満たされた気分で微笑んだ。