恋する怪物 9
※シズ→イザ。2010年ハロウィンネタの続編。









双子から聞かされた『お願い』。
どこかで感じていたが、それは、静雄にとっては最悪な結果を示唆するものだった。
恐怖。焦燥。
そんなものに突き動かされるまま、静雄は走る。
臨也のいる場所はなんとなく察せられたが、相手も移動しているのかなかなかつかまらず、それがより焦燥を煽っていた。

「くそっ」

とにかく急がなければ。
あの人狼が自分の前から消えてしまう前に。
何としても捕まえなければならない。
双子の言葉と、闇医者の言葉。
二つの言葉から導き出される結果は、最悪で、そして、このまま放置すれば確実に起こることだった。


あれはほんの数日前。

「臨也については僕だって詳しいわけじゃないけどさ」
ちょっとした用事で立ち寄った静雄に、そう前置きして新羅は語った。
「君が臨也の側にいてくれてちょっとほっとしているんだよ。どうも彼は自分という存在に無頓着だし、いつか何も言わずにふらりといなくなってしまうんじゃないかって心配だったんだ。いや、まあ彼がいないほうが街は平和なんだろうけど、一応僕は彼の友人だからね」
だから良かった。そう言う彼は本気でそう思っているように見えた。
「臨也の同族はもうこの世界にはいない。人よりずっと長生きで年もとらない上に普通の狼男みたいに他の種族との間に子孫を残す能力もないから、正真正銘、最後の一匹だ」
そこで一旦言葉を切って、真剣な顔で静雄を見つめ。
新羅は言った。
「たぶん彼は、とても寂しがりだから」
その後を新羅は続けなかったが、静雄はその言葉に続くものが何か、何となく分かっていた。


そして、つい数時間前。
双子の『お願い』が、それが正しいのだと証明してしまった。

――臨兄とずっと一緒にいてあげて。臨兄はたぶん、

長く、永く生き過ぎたあの狼は、諦めることに慣れてしまっている。
いずれは失われると知っているから、決して欲しいものを手に入れようとはしない。
だから彼は望まない。手から零れ落ちるものは零れ落ちるまま、決して留めようなどとはしないのだ。
そう。平穏な日常も、住処も、仲間も、家族も――自分の命さえも。
















どこかのビルの屋上で。
ふさりと尻尾を動かして、臨也は街を見下ろした。
随分長く、この場所にいた。
人が多い場所の方が人間に混じって暮らしても分からない。
そういう理由で暮らし始めたこの街は、最初に訪れた時から随分と姿を変えていた。

――そろそろ、潮時なのかもな。

長く生きて色々なことに鈍感になっていたのかもしれない。
風が運ぶ街のざわめきを聞きながら、息を吐く。
この街で色々なことがあった。
面白い人間と知り合った。
変な事件に巻き込まれたり、逆に巻き込んでやったり。
本当に色々なことがあって、それなりにこの街に愛着はあった。
でも、それも今日で終わりだ。

「…しんみりするのはガラじゃないんだけどなぁ」

そう言いつつ、空気の匂いを嗅ぐ。
知った匂いが近づいていた。
おそらくほとんど直感だけでこの場所を目指してるのだろう相手を思い、臨也はくすりと笑う。

――ホントは、もう少し一緒に居たかったんだけどさ。

潮時だ、と臨也は呟いた。
だが、これ以上側にいたら離れ難くなる。
たった一週間の同居でさえ、出て行く背中に寂しさを覚えたのだ。これ以上引き伸ばせば、欲が生まれる。もっと長く一緒に居たいと思って、ずるずると期間を延ばしてしまうだろう。

「それじゃ、シズちゃんの為にならないしさ」

他の眷属たちのように自立を待ってやることは出来ない。
自分とは明らかに異なるあのきれいな魂を、これ以上汚してしまいたくなかった。
だから、臨也は諦めると決めたのだ。
扉の開く音。
近づく足音。
それらを聞きながら、耳と尻尾を消す。

「やあ、シズちゃん」

振り返って、臨也は見慣れた金髪バーテン服の吸血鬼ににっこり笑いかけた。
不機嫌そうな、怒ったような、そんな表情の彼の姿。
それを見ながら、臨也はこれでこの男の顔も見納めなのだと、少し寂しく思った。
















「やあ、シズちゃん」

振り返ってそう言った臨也に、静雄はゆっくりと近づく。
臨也が立っている場所は柵の向こう側。
高い身体能力に加えてパルクールを駆使するこの男は、これくらいの場所は簡単に飛び降りて逃走してしまうのだ。
警戒させないように、不審がらせないように。あくまでゆっくりと、静雄は近づいていく。

「手前、そんなとこで何してやがんだ」

気を逸らすためにそう問えば。
臨也はこてんと首を傾けた。
「んー…まあ、別にここである理由はないけど、街を見てたんだよ」
「街?」
「そ。池袋。ずいぶん長く、俺が住んでいた場所」
すいっと視線を街へ戻して、臨也は薄く笑う。

「…俺としても色々考えたんだよ」

何を、と問うことは出来なかった。
想像は容易い。
まともな付き合いはまだ一ヶ月そこそこだが、この人狼はプラス方向に思考する性格ではないと理解するには十分だった。
マイナス思考というわけではない。しかし、楽観的なものの見方は一切しないのだ。常に最悪を想定し、それが起こると仮定して行動している。

「俺が守ってきた連中は、もう俺がいなくても一人で生きていける程度には成長した。だから、もういいかなと思ってさ」
「…臨也」

それ以上言うなと願って静雄は名を呼ぶが、相手はかぶりを振っただけだった。

「シズちゃん。俺はね、結構長く生きてる。たくさん、いろんなものを見たよ。同族が一匹ずついなくなっていく中で俺はここまで生きてきたけど、」
そこで言葉を切って、臨也はふっと表情を緩める。
静雄の方に再び向き直って、目を眇めて笑って見せて、彼は言った。

「それも今日で終わりだ」

深く、静かな声。
臨也の声も目も、全てを捨てると決めたもののそれで。
静雄は、やはり臨也がただ消えようとしているのではないと知る。
長く、永く生き過ぎた彼は、諦めることに慣れてしまっていた。
そう――自分の命さえも、彼にとっては諦められるものなのだ。

「…おい、臨也」

止めろ、止めてくれ。
頼むから、と伸ばす手が届く前に、臨也はビルのふちに立つ。

「君を解放してあげる」
「臨也…止めろ」
「俺が死ねば俺の血の魔力は消えるから君は他の奴の血も飲めるようになるし、何より俺の眷属なんていう胸糞悪い立場から開放される」

静雄の言葉を聞く気はないのだろう。
振り返って、臨也はごめんね、と呟いた。
くそっと舌打ちして、静雄は力づくで止めようと動く。
だが。

「さよなら、シズちゃん」

一足早く、臨也はその身を空中へ投げ出していた。