恋する怪物 8
※シズ→イザ。2010年ハロウィンネタの続編。









そろりと這う舌が傷口を僅かに抉って、臨也は眉をしかめた。
しばらく滲んだ血を無心に舐めていた静雄だったが、ついにぷつりと指に牙を立ててくる。
「っ」
ピリピリとした痛みはすぐに背筋を這い上がる快感に変わると知っている。吸血鬼に噛まれればそうなるのだ。
目をきつく瞑って湧き上がる感覚を抑え込んで、臨也はふるりと身を震わせた。
「っ、ぅ」
鼻を刺激する血の匂いに眩暈を覚えて呻くと。
静雄が顔を上げて臨也を見る。

「大丈夫か」
「ん…いちおう、ね」

俺も君と同じ化け物だからねぇと言って、臨也は苦しげな表情のまま笑みを浮かべた。

「まだ足りないよね」
「でも…」
「いいよ。平気。ちょっと、血の匂いに酔いそうなだけだから大丈夫」

ほらと示されて。
静雄は僅かに逡巡して、身を起こし。
臨也の体を入れ替わりで横たえて、覆いかぶさってくる。
それを見上げて、飢えた獣みたいな目だと臨也は笑った。
自分よりよほど狼を思わせる男だ。相性は最悪。吸血鬼の血を引く、天敵と言っても過言でないはずの男。
なのに。
長く長く生きてきて、この男ほどに自分の心を揺さぶる存在など知らない。
思い通りにならなくて、それが酷く腹立たしくて。
何度も殺そうと試みた。
…なんて最悪な独占欲だろうね。と臨也は苦笑するしかない。
気付いてしまえばとても単純なことだったのに、こんなことになるまで気付きもしなかったのだから、本当に笑うしかない。
臨也のそんな心境になど気付くこともなく、静雄は臨也の頬を撫でて言う。

「加減、できねぇかもしれねぇぞ」
「…ん、いいよ。やばそうだったら殴るから」

こくりと頷いて首を傾けて曝け出す臨也に静雄はそっとその首筋に顔を寄せてきて。
牙が当たり、皮膚に食い込む瞬間。
臨也は、くつりと自嘲の笑みを浮かべた。

――もっと早く気付けば、違う未来もあったかもしれないのに。

そう思いながら。
臨也は目を閉じて、愛しい吸血鬼の背に手を触れた。
















静雄は労わるように臨也の髪を梳く。
急激に大量の血液を失った臨也は今はただ眠っていて。
そのあどけない寝顔に、静雄は僅かに苦笑した。

自分は臨也の眷属になったらしいが、正直実感がない。
意識も何もかも、まるきり以前と何ら変わりないと思えるのだ。
血を啜る静雄に臨也が聞いたことのない言葉で何事か囁いて。それで、契約は成立してしまったらしい。
本当に何が変わったようにも思えなくて、まるで実感がない。

「まあ…別にいいけどな」

これで自分は臨也の家族になってしまったわけだ。
そう考えると、嬉しいのと同時に酷く複雑な気分になる。
だが、今考えても仕方ないか、と首を振って。
静雄は眠り続ける臨也を抱きしめて、その体温の心地よさに息を吐き出した。
と、コンコンとドアをノックして、返事を待たずに新羅が顔を出す。

「あれ?臨也寝てるの?」
「ああ」
「ふぅん。君と臨也の立場が逆になったってことは、臨也から血を貰ったんだよね?」
「ああ」

頷く静雄に、新羅はにっこりと笑った。

「とにかく、君が目を覚ましてよかったよ。これで僕もセルティも一安心だ」
「迷惑かけて悪かったな」
「いいよ。君は僕の数少ない友達だからね」

近づいてきた新羅は臨也の顔を覗き込み、おやという表情をしてみせる。
なんだと静雄が問うより先に、くすりと笑って彼は静雄の顔を見た。

「ずいぶん安心して寝てるみたいだね」
「…そうなのか?」
「うん。臨也って警戒心がかなり強いから、僕は今まで気を失ってる時以外で臨也の寝顔を見たことはなかったよ」

君の側は安心ってことなのかなと首を傾げた新羅に。
静雄はくすぐったい気持ちになりながら、だったら嬉しいんだけどなと応じたのだった。
















静雄が臨也の眷属になって一ヶ月が過ぎようとしていた。
最初の一週間は様子を見るために臨也のマンションに置かれたが、今は数日に一回、ほんの少し臨也の血を貰うこと以外、特に今までの生活と変化はなかった。

「あ、静雄さんだ!」
「…嬉…」

そんな声とともに後ろからアタックされて、静雄はまたかと溜息をつく。
臨也の妹、九瑠璃と舞流。
彼女たちもまた、今は静雄の『家族』であった。二人は10年ほど前に臨也に拾われた人狼――ただし臨也とは種類が違う――の混血であるという。

「…聞…」
くい、と服の袖を引かれて双子の片割れを見れば、もう一人がその言葉を代弁した。
「静雄さん、今日は臨兄に会ってないの?」
「…あー、今日はまだだな」
「会いに行く?」
「そのつもりだ」

頷くと、二人はじっと静雄を見詰めたまま、言った。

「静雄さんは私たちの『家族』だよね」
「お、おう。そうだな」
「じゃあ、静雄さんは臨兄のこと、好き?」
「…愛…?」
「え、あ…ああ、好き、だけど」

真剣な問いに押されて、こくこくと首を縦に振ると。
二人は満足そうに頷きあって、そして、言った。

「私たち、静雄さんにお願いがあるの」
「…願…」
「お願い?」

唐突な“お願い”に怪訝そうな顔をした静雄に。
二人はどこか必死さを感じる顔をして首肯した。

「うん。臨兄のことで、静雄さんにどうしても頼みたいことがあるの」