恋する怪物 6
※シズ→イザ。2010年ハロウィンネタの続編。









眠る静雄を見下ろして、臨也はふうと小さく息を吐く。
新羅が望む通りに真剣に静雄のことを考える。
臨也は今まで敢て、静雄のことについて深く突き詰めようとしてこなかった。
目覚めたての幼い吸血鬼。相性の悪いそりの合わない男。同じ闇の住人なのに、真っ直ぐできれいな魂。
最初の拒絶からずっと、臨也は静雄を勝てもしない相手にそうと気付かず威嚇する子供として扱いまともに取り合ったことがなかったのだと、ようやく思い至った。

――大人気ないのは俺の方か…

最初に拒絶されたのが気に入らなくて、視界に入るのすら気に入らなくてちょっかいをかけて。
…我ながら本当に大人気ないと溜息をつくしかない。
相手はまだたかだか十数年しか生きていない子供だったというのに。
あーあ俺って馬鹿だと自嘲して、臨也は目を細めた。


臨也は普通の伝承にあるような人狼とは違う。
今となってはおそらく他に同種のいない、純血の人狼の一種族。外見年齢や寿命すら操作する魔力を持つ彼は、途方もなく長い時を一人で生きてきた。
時に神と奉られ、時に人間社会に溶け込んで。
そうやって、生きてきたのだ。


「…シズちゃん」
そっと名前を呼んで、血の気の失せた白い頬を指の背で撫でる。
低い体温は静雄の生命力がギリギリまで落ちていることを分かりやすく物語っていた。
「困った、なあ…」
自分が捻くれている自覚はあった。
疑り深く、用心深く。そうでなければ、臨也はとうの昔に他の同属のようにこの世から駆逐されてしまっていたのだから。
だけどこれはないよね、と心中で呟く。
捻くれ過ぎて自分の本心すら曲解するとか、馬鹿以外の何者でもない。
気に入らない、気にかかる、だからやっぱり気に入らない…なんて、どんな悪循環なんだ。そう一人ごちて。
臨也は「ああもういやだ。俺馬鹿すぎ」と唸る。
新羅の望みに応じて、自分の気持ちに向き合って突き詰めて考えて。出た結論は、ひとつだった。

「なんて酷い独占欲だろうね」

俺は無意識に君を殺す気だったんだよ、と。
種の証である漆黒の耳と尾を現した臨也はそう苦しげに吐き出した。
















折原臨也はただの人狼ではなかった。
どちらかと言えば怪物よりも精霊寄りの生き物である彼は、その血に強大な魔力を有している。
臨也の血は魔力の結晶であり、その影響は絶大だ。与えたものを守護することも支配することもできる。外見年齢を変えながら人間社会にとけ込んで生きる中で、行き場を失った混血を拾うこともしばしばあって。臨也は混血が望めば、自らの血を与え血族として庇護してきた。
そんな強大な力を持つ血が、もし本人すら思いもよらぬ意思を含んだまま与えられたとすれば――、
「契約は一方的に成立してしまうわけだ」
忌々しい、と臨也は苛々とした声を出す。

静雄の状態は、たとえ意図して行ったものではなくとも明らかに臨也が原因だった。
あの一件から始まったらしい静雄の拒食と、自分の静雄への奇妙な執着。
この二つを結びつければ、どうしたってひとつの結論しか出てこない。
自分は静雄に血を与える時に無意識に血の中に命令を忍ばせてしまったのだろう。
そうとしか思えない状況に、臨也はまた、忌々しいと呟く。

「一体どんな命令だったんだ…?」

それが分からなければ解除のしようがない。本来契約は決まった手続きを踏んで行うものなのだから、こんな変則的な状況は臨也にも手の施しようがないのだ。
逆に言えば正式なものではないのだから、効き目が薄くなる可能性もあるのだが、静雄の様子を見る限り、それはなさそうだ。静雄が混血でなければここまでの効果はなかったのだろうにと考えて、臨也は困ったと宙を仰ぐ。

「どうしようか…」

解除が出来ないのなら命令を上書きするのが一番だが、うまくいく保証はない。
もうひとつの方法は…静雄の意思次第だ。
だが、どちらにせよ自分が悪い。チッと舌打ちして、臨也は不機嫌そうに尻尾を揺らす。
「長いこと生きてきたけど、まさか俺にヤンデレ属性があるとは驚きだよ」
はあ、と重い溜息をついた時、臨也の狼の耳が僅かに変化した静雄の呼吸音を聞き取った。
――やれやれ、やっとお目覚めか。
こっちの葛藤を知りもしないで、と心の中で理不尽にも文句をつけて。
うっすらと目を開いた静雄に、臨也は「おはよ」と挨拶して――それから、そうじゃないだろ…と自分に突っ込んだのだった。
















静かな目で静雄を見下ろす臨也に。
静雄は何度か目を瞬いて、それから視線を固定させた。

「いざや」
「うん」

呼びかけに応じて臨也が頷く。
その頭と一緒に揺れた狼の耳を視界の端に捉えつつ、問う。

「どうして、手前がここにいるんだ」
「新羅に呼ばれたんだよ。君が倒れたって」
「…そうか」

悪いと言えば、ぱさりと尻尾を揺らし臨也は別にと呟くように言って。
それから、静雄の頭に手を伸ばしてきた。
鉛のように重い体を動かす気にもなれずされるがままに任せれば、予想外にも臨也の手は静雄の髪を優しく梳いていく。
しばらく何も言わずにそのまま撫で続けて。
さすがにどういう風の吹き回しだと訝しみ始めた静雄に、臨也は小さく溜息をついて口を開いた。

「ねぇ、シズちゃん」
「…なんだ」

警戒を含んだ静雄の声をからかうこともなく、独特の色彩の瞳は真剣な色を宿して真っ直ぐに静雄を見つめている。
何を言う気だとろくに動かない体を強張らせた静雄に。
臨也は酷く静かな声で問いかけてきた。

「血、飲みたい?」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。
何度か臨也の言った言葉を脳内で繰り返し、ようやく咀嚼して、静雄は大きく息を吐き出す。

「…今は飲めねぇんだよ」
新羅から聞かなかったのかよ、と唸ると首が振られる。
「知ってる」
「じゃあ」
「たぶん俺の血は飲めるよ」

自身の言葉を遮って言われたその言葉の意味が分からず。
ただ困惑した表情を浮かべる静雄に、臨也は「でもね」と続けた。


「でも、もし今度俺の血を飲んだら、君は俺の眷属になってしまうと思う」


だから、君が決めて。
そう呟くような声音で言って。
臨也は小さく自嘲するかのような歪んだ笑みを浮かべた。
















臨也の言葉を理解できず、静雄はきょとんとした。
見上げた先の男の表情から決していいことではないのだろうとは思ったが、それだけだ。

「…けんぞく?」

なんだそれ?と問いかけると、臨也は一瞬目を丸くして、それから大きく息を吐く。

「ああそうだったね。相手はシズちゃんなんだから、もっと言葉を選ばないとダメかぁ」

あーあ、と首を振る失礼な相手を軽く睨んで先を促す静雄。
それに応じて、臨也は頷いて話しはじめる。

「眷属ってのは、俺の…うぅ〜ん…なんだろ……身内?みたいなものかな」
「身内…?」
「俺の家族、俺の血族。俺の血を受けて、俺の庇護下にある存在」
そこで一度言葉を切って。でも結局はさぁ、と続ける。
「俺は血を与えたものを自分の支配下におけるってことで、つまり眷属ってのは俺の下僕みたいなもんなんだよ」

静雄の髪をもう一度撫でて、臨也は低く静めた声で言った。

「君が血を飲めなくなったのは俺の血を飲んだせいだ。でも、そのことについては俺にはたぶんどうすることもできない。だから、俺が君に選ばせてあげられるのは、君が俺の眷属になるか、あるいはこのまま餓死するかだけ」

君はどうしたい?と問いかける人狼に。
そうは言われても即決などできるはずもなく。
静雄は戸惑うことしかできなかった。