恋する怪物 1
※シズ→イザ。2010年ハロウィンネタの続編です。









折原臨也は人狼である。
もっとも、満月の夜に変身するわけでもなく、銀の銃弾で死ぬわけでもない。
あんな存在と一緒にされては困る。と、彼は苛立ち混じりに吐き捨てる。
臨也は己の種に興味はないが、それなりの誇りは持っていた。





くん、と鼻を鳴らして。
臨也は空気の匂いを嗅ぐ。
そして知った匂いを感知して、ざわ、と騒いだ血を宥めて、小さく呟いた。

「嫌だなぁ、もう」

匂いの源は、平和島静雄だ。
彼の長年の敵。
高校の時に始めて会った時からお互いどうしても相容れない天敵と言っても過言でない存在。
満月が近く、何とはなしに高揚していた気分に水を差されてムカつくなぁと唸って。
臨也は駅へと向けていた足を止めた。

「最近やけにしつこいんだよね…」

やだやだと首を振る。
あの日、偶然新羅のマンションで会った日から。
静雄は前にも増してしつこく臨也を追うようになった。
うっかり見つかろうものなら、軽く2、3時間は追いかけられる。
いい加減、逃げ回るのにも飽きてきた。
一体なんだというのだ。
そう問うてみてもよかったが、臨也は敢えて訊かなかった。
静雄は吸血鬼だ。しかも間違いなく4代以上前の先祖からの隔世遺伝。たぶんそれが理由なのだろう。
臨也は静雄にしてみれば初めて出会った――新羅の恋人のデュラハンを除けばだが――自分の種族に詳しい相手だ。
どうやらあの日から奇妙な執着を持たれたらしいと判じ、小さく溜息をつく。
ここまでしつこく追われるくらいなら血などやらなければ良かった、と呟いて。
臨也はほぼ真円を描く頭上の月を見上げて、相手の到着を待った。
















「やあ、シズちゃん」

ようやくやって来た吸血鬼に手を振れば、不機嫌そうに眉根が寄せられた。

「よくも散々逃げ回ってくれやがったな、臨也くんよぉ」
「そんなこと言ったってさぁ、逃げなきゃ危ないじゃないか」

俺はまだ死ぬ気はないよ、と笑って言えば。
何故か静雄は別に殺さねぇよ、と返してきた。
予想外だ。
絶対に当たり前だとかなんとか、それに類する語を吐かれると思っていたというのに。
臨也は何度か瞬いて、相手を凝視して。
それから、ああ、と納得した。

「言っておくけど、俺、そんなに吸血鬼について詳しいわけじゃないよ?今は付き合いのある連中もいないし」
「…別に、んなことはどうでもいい」
「?じゃあ、まさかまた血が欲しいとか?」
「…それも違う。…あ、いや…そりゃ、貰えるなら欲しいけどな…」

じゃあ何なんだと首を傾げる臨也に、静雄は視線をうろつかせる。

「シズちゃん?」
「………」

何事がぶつぶつと呟いているが、あまりにも小さすぎて臨也の常人の何倍もいい耳ですら、ほとんど聞き取れない。
それでも不穏な単語と自分の名前を聞き取って、やはり逃げるべきだったかと僅かに後悔した。
と。
ずかずかと大股で静雄が近づいてきて――いきなりのことにうっかり逃げ損ねた臨也の腕を掴む。
結構な力だ。全力を出せば振り切れなくはないだろうが、どうするか…。

「臨也」
「なにかな?」

手を離してくれないかな、と言う臨也の言葉など耳に入っていないのだろう。
静雄は臨也の名を読んだ後、何度か大きく深呼吸している。
なんだ、何を言う気なんだ?と心もち眉を寄せた臨也は、次の瞬間衝撃的な言葉を聞くことになる。


「俺は、手前が好きらしい」















「…それ、何の冗談?」

そう聞いてしまうのも仕方がないというものだろう。
彼らの関係は天敵。その一言に尽きる。
臨也にしてみれば、静雄のそれはおよそあり得ない言葉なのだ。

「いや、別に冗談じゃ」
「聞きたくない。ねぇシズちゃん、まさかと思うけど、へんな勘違いしてない?俺と君はそういうことを言うような関係じゃないはずだ。たとえ、俺の正体が人狼だとしても…」

静雄の言葉を遮ってそこまで喋って。
臨也ははたとある可能性に気付いた。
非常に、非常に嫌な可能性だ。

「…ねぇ…そう言えばさ、君って…今まで新羅から血液パックを貰ってたんだよね」
「ああ、そうだけど…それがどうかしたのか?」
「しかもそれ以前は弟くんから貰ってた…君が弟くんに噛み付くわけないよね」
「当たり前だろうが」
「は、ははは…」

予感的中。
臨也の口から零れた笑いは、酷く乾いたものだった。

「ねぇ、シズちゃん…君、血を直接飲んだのは俺が初めてだろ」
「おう、そういえばそうだな」

………。

「ああああぁぁ!!チクショウあの時の俺!何てヘマしてんだ!よく考えなくてもそうに決まってんだろうが!!」
「…おい、ノミ蟲…大丈夫か?」

ついに頭が、とか言う静雄をギロリと睨みつけ。
臨也は大声で怒鳴る。

「いいかよく聞け平和島静雄!その気持ちはただの錯覚だ!!」














「錯覚じゃねぇよ」
「いいや錯覚だよ!」
「なんでそう思うんだよ」
「そりゃ、吸血鬼にとって初めて血を吸った相手って特別だって聞いてるし」

ふうん、と静雄は呟いて、

「なら俺のは錯覚じゃねぇよ」

と言った。

「…は?」
「だからよぉ、俺のは錯覚じゃねぇっての。血を吸う少し前に気付いたからな」

今、こいつ何言いやがりました?
静雄の言葉が飲み込めず、一瞬頭が真っ白になった臨也だったが。
次の瞬間には再び叫んだ。

「はぁ!?何それ!!それこそありえないだろ!?」

それこそ本当に冗談ではない。
臨也にとって静雄はからかい甲斐はあるがそれだけの、普段は邪魔ばかりする天敵でしかないのだ。
血をやったのだって気まぐれに過ぎない。そこに好意は…多少はあったかもしれないが…基本的にはない。あれはあくまで好奇心に基づく気まぐれだった。

「ありえなくねぇよ。実際、どう考えても俺は手前が好きらしいんだからよぉ…。まあ、ムカつくし殴りたいのも変わらねぇけどな」

それを伝えようと思っていたのに逃げ回りやがって、とかなんとか。
そんなことを言ってくる静雄の声など、臨也は半分も聞いていなかった。
今、彼の頭の中にあるのは、

――どうやってこのしつこい男から逃げればいいんだ…

その単純でありながらこの上なく困難な問題だけだった。