ねこのはなし
















何となくムカついた。
そんな理由で臨也のマンションの玄関を破壊してその家主を殴るべく踏み込んだ静雄は。
べちりという鈍い音と共に顔に衝撃を受けて、足を止めた。

「………」

柔らかい毛皮の感触が頬を擽る。
たぶん顔に細い爪が刺さっているのだろうが、そんなものは大した痛みではないので気にならなかった。

「あ、シズちゃんっ?それそのまま捕まえてて!」
「…………」

パタパタと足音がして、不本意だが耳慣れた声が聞こえる。
それに何なんだと思いながらも気勢は既に削がれていて。
力加減に注意しながら、べり、と引き剥がした生き物を近づく臨也に手渡した。

「…助かったよシズちゃん。まったく全然大人しくしてないんだから…これだから嫌なんだよ」
「………あー…なあ、臨也」
「何?…ってそう言えば、君何勝手に人の家の玄関壊してくれちゃってるのさ。毎回毎回修理する俺の身にもなってよ」
「うぜぇ黙れ。で、なんで手前んちに猫がいるんだよ」
「なんでって聞かれても困るんだけど。それって何?まさか俺が猫を飼っちゃいけないとでも言うつもり?もしそうだとしたら何の権限でそんなこと言うわけ?まあ俺は猫なんてどうでもいいから別に構わな――」
「だ・ま・れ」

いつまでもべらべらと喋り続けそうな気配に、静雄はぎろりと睨みつけて低い声を出す。
本当にいらないことばかり喋る男だ。
静雄を苛立たせることにかけてはこの男に勝る存在はいないだろう。

「はいはい、ホント短気だね」

そう言って、臨也は腕の中でもがく子猫――そう子猫だ、を面倒そうに見下ろした。
益々もがいて逃げようとするその毛玉に溜息をつくその手は、よく見れば絆創膏だらけだった。

「これはね、拾ったんだよ」
「…手前が?」
「そう俺が」

予想外だ。
そう思ったのが顔に出たのだろう。
臨也は静雄を睨みつけ、ずいっと手の中の子猫を差し出してきた。
反射で手を出す。
ぽと、と手のひらに落とされた子猫は不満げにミィと鳴いたが、臨也は取り合う気はないらしい。

「持ってて」
「……いや、俺は…」

まずいだろう。いつうっかり潰してしまうかわからない。
そう思うと、身動きすら取ってはいけない気がして。静雄が本気で困った顔をして臨也と子猫を交互に見た。

「大丈夫だよ。君は俺よりずっと優しいんだから、その毛玉を潰したりはしないさ」

くつくつ笑ってついて来いと促す相手に。
静雄は仕方なしに子猫を落とさないようにそっと抱いて後を追う。

「ソファにでも適当に座ってその毛玉を構ってやっててよ。さっきから暴れて煩くて仕事にならなくて困ってたんだ」

いやまさか君が役に立つ日が来るなんてね!と笑う臨也を睨むが、無視された。
本当にうっかり潰さないように、手に意識を集中しながらそっと細心の注意を払ってソファに座る。 その間、先程まで暴れていたのが嘘のように大人しく手の中に収まったままの子猫に、静雄は途方に暮れるしかなかった。
とりあえず少しは(自分が)安心かと膝に下ろす。
じっと見つめてくるその視線に、戸惑いながら撫でてみれば嬉しそうに顔を擦り付けてきて。
ごろごろと喉を鳴らして目を細めるその姿に、静雄も無意識に頬を緩めた。

「…しかし、俺のことは毛嫌いするくせにシズちゃんには懐くとか、どういうことなのかな」
「そりゃ、手前が性格悪いって猫にもわかるからじゃねぇのか?」

くっと笑って言ってやれば、臨也はふうん、と大して興味なさそうに呟く。

「まあ、いいけどさ。猫に好かれたいわけじゃないし」

つん、とそっぽを向いて。
臨也はちろりと横目で静雄の膝の子猫と静雄の顔を眺めて。
ふんと鼻を鳴らした。

「コーヒー飲む?」
「…もらう」

了解、と離れる寸前。
臨也が膝の上で寛ぐ子猫を睨んだのに、静雄は苦笑を浮かべた。
猫に嫉妬かよとからかっても良かったが、多分倍以上の言葉で反撃してくるのは目に見えていて。
だから口にはせず、ただ仕方ねぇなあと笑うだけだ。
喉を鳴らし続ける子猫を撫でながら、臨也がキッチンで奏でる生活音に耳を澄ます。

「…まあ、悪くねぇか」

苛立ちは子猫の存在と臨也の見せた感情ですでに消え失せている。
特に“そこは俺の場所なのに”と子猫相手に嫉妬する臨也の態度が静雄の気分を高揚させている。
猫みたいに気まぐれで思い通りにならない相手が時たま見せるそういった部分は、静雄にはひどく可愛らしく映った。
そんなことを考えながら待つ静雄の膝で、喉を鳴らす子猫が気持ちよさそうに目を閉じてくるりと丸まった頃。

「あれ、寝ちゃってるの?」

そう言いながら、戻ってきた臨也がカップを手渡してきた。
受け取って、ミルクと砂糖のたっぷり入ったそれを口を付けることなくローテーブルに置く。

「飲まないの?」
「あー…いや、飲むけどよ」
「けど?なに?」
「…こいつの上に零したらマズイだろうが」
「…………」

なんだそれは、と言わんばかりの顔をする臨也。
そして、随分気に入ったんだねぇ、と呟いて。
眉間に皺を寄せ、静雄をから離れようとする。

「おい、待てよ」
「…なに?」

まったくもって素直でない男だ。
手を離せ、と睨む臨也に笑って、静雄はとっさに捕まえた手を引く。
至近距離になった臨也のその顔は、酷く不満げだ。
不愉快だと全身で言っているのに、本人はそれを表に出してしまっていることに気付いてすらいない。

「臨也」
「だから、なに――っ」

やかましく囀ろうとする口を己のそれで塞ぐ。
リップ音をさせながら、何度か口付けを繰り返すうち。
次第に凭れるように近づく臨也に気付いた子猫が、みぃ、と小さく鳴いて膝から飛び降りた。
床に下りて振り返ってもう一度。
不満そうに鳴く子猫に。
静雄は小さく苦笑して、心の中で謝った。


――悪ぃな。俺は猫はこいつだけで手一杯なんだよ。












※わがままな猫扱いな臨也さん。
一体どれだけ臨也さんを猫扱いすれば気が済むんでしょうね、自分。