それはまるで狂気の沙汰
※『カリ・ユガ』元ネタ。暗くないバージョン。















その独特の色を持つ瞳と、一瞬だけ視線が合った。
いや、合ったと思ったのは静雄だけだったのだろうが。
なんにせよ、静雄はその時、今まで感じたことのない衝撃に襲われたのだ。
すぐに視線は逸らされて、彼のその眼差しは別の人間に向けられる。
その視線を、自分だけに向けさせたいと思った。

――ただどうしようもなく、欲しいと思った。だから、











最初の邂逅で拒絶した。
一瞬瞠目した赤が興味深げに細められるのを確認して、一人ほくそ笑む。
決してお前の思い通りならないと牙を剥き拳を振り翳して、視界に入れば殴りかかって、存在を意識させた。
犬猿の仲。周囲にはそう呼ばれ、傍迷惑な――というレベルで済んではいなかったが――喧嘩を繰り広げる。
だが、他人の目にどう映ろうと、静雄と臨也の関係において接触の機会を作っていたのは静雄の方だった。臨也はあくまで他人を使って仕掛けることを選んでいたが、静雄はその臨也の姿を見かけるたびに自分から行動に出た。無視するのではなくはっきりと攻撃の意思を示して、意識しろ、自分を見ろ、と心の中で叫びながら。
臨也の興味を引き続けるのは自身それほど良いとは思っていない頭をもってしても簡単だった。普通でなければいい。その他大勢に埋没しない、彼の望み通りに動かない、彼が化け物と呼ぶ対象でありさえすればよかったのだから。
臨也が自分に向ける憎悪と執着。嫌いだった暴力に感謝したのは後にも先にもこの時だけだったろう。

そうして、年月だけが過ぎて――。

静雄は一つの賭けに出た。
彼を否定し、決別の言葉を告げ、その存在を徹底的に無視して。
戸惑うように怯えるように揺れた赤に、捕らえたと確信した。











「すべて予定通りだったんだよ」
「え、なに?」


唐突に言えば腕の中で何のことだと首を捻る臨也。
それに笑って、静雄は彼をさらに深く囲い込む。
きょとりと見上げるその眼差しが自分だけに向いていることに満足する。
一目見た瞬間から静雄はこれが欲しくて堪らなかったから、手に入れるために費やした時間を無駄だと思ったことはなかった。
そして、獲物は静雄の思惑通りまんまと罠にかかって、今この腕の中にいる。
これ以上ないくらい満足だった。

「予定通り、ぜんぶすんなり事が運んだ」
「…意味わかんないんだけど?」

ますます怪訝そうな顔になった臨也に、低く喉の奥で笑って。
その耳元で囁く。

「最初から最後まで、ぜんぶ。手前を捕まえるための罠だったんだよ」
「………は?」
「なあ、臨也」

もう逃がさねぇからなと、ぽかんと開いた唇を食む。
囲っていた腕を弛めて、代わりに羽織らせただけのシャツの隙間から手を差し込み肌を撫でる。
臨也はと言えば、唖然と見開かれた目で静雄の行動をただ追うだけだ。

「罠に嵌ってこうなって、どんな気分だ?」

意地悪く問うのは、今更逃げられないと知っているからだ。
臨也は静雄から離れられない。確信を持ってそう言えるまで手を出さなかったのだから、間違いない。
は、と小さくと息を零して。
臨也の赤い瞳が静雄の顔に戻される。

「…さいしょから?」
「おう」
「さいごまで?」
「そうだな」

唖然としたままのどこか舌足らずな口調での問いかけに、頷く。
ゆるゆるとふたたび見開かれた目が次第に剣呑な色を帯びていくのを眺め見て、静雄は楽しげに笑った。

「…ばっかじゃないの」

呟くように吐き出された臨也の言葉は、現状の容認だ。
諦めたような溜息が吐き出され、細身の身体が凭れかかってくる。

「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、ホントに馬鹿だったんだねシズちゃん」

俺みたいののせいで人生棒に振っちゃってさ。ホント馬鹿。
ぶつぶつと文句なのかよく分からない言葉が延々と吐き出されていく。
どうやら本気で呆れているらしいと苦笑して、静雄はそのしなやかな背を撫で上げた。

「ちょっと。今、俺けっこう本気で怒ってるんだよ?大体どういうこと?最初っからって、つまり君は俺を嵌めるために延々俺を拒絶したってこと?俺が一人で怒って憎んで、でも好きになっちゃって。馬鹿みたいに悩んでたのを笑って見てたわけ?うまくいったって、俺がいつもしてるみたいにほくそ笑んでたわけ?うわシズちゃん最低。8年間ずっととかある意味俺より酷いよそれ?」

ぎろりと睨む臨也のそれは、静雄以外なら踵を返して次の瞬間には全速力で逃げ出すか、あるいは土下座でもしそうな怒りが込められていた。
刺し貫くような視線はいっそ殺意さえ感じられる。
どうやら本気でご立腹らしい。

「ああそうだな。でもな――」

ぎゅうっと捕らえた獲物を抱き締めて。
静雄は万感の思いを込めて、告白する。

「それくらい本気で、俺は手前が欲しかったんだよ」

返る答えは先程と同じ、「ばっかじゃないの」とただ一言。
実に素っ気ない言葉の中、確かに含まれる拗ねたようなそれを敏感に感じ取って、静雄は満足気な表情をした。



最初の拒絶で臨也の中に強い印象を残して。出会うたびに傷つけ合うことで存在を刷り込んだ。
その他大勢から隔絶した臨也の『特別』であるために、ずっとそうし続けた。
そうして、逃れられない深みまで引き摺り込んだ上で、突き放した。急に失った繋がりに戸惑い、なんでと問いかける彼が、答えを与えられない孤独の中で深く傷つくのを黙って待った。
そして、本当は決して強くない彼が痛みに蹲り震える声で自分を呼ぶそのタイミングで手を差し出したのだ。
確かに最低だ、と静雄は自分を哂う。だが、心のどこを探しても一片の後悔もないのだから、ここはもう相手に諦めてもらうしかない。



「手前は俺のだ。そうだろ?」
「…そうだね」

こくりと頷いて、臨也は静雄の背に手を回ししがみ付く。

「俺はシズちゃんのだよ。正直ムカつくし最低最悪だし殺してやりたいけど…俺はもう、シズちゃんのものだ」
はふ、と軽い溜息。
「だから、とりあえず君が俺を罠に嵌めたことは、まあ、俺の今までの所業の数々と相殺でチャラにしてあげるよ」
「割に合わなくねぇか?」

俺の方が迷惑を被った数は多いと思うんだが、と静雄が告げれば睨まれた。

「煩い。君は俺を手に入れたんだからそれで手打ちだよ。クソ…もっと高く吹っ掛けるべきだった…」

不満げな表情で文句を言うが、臨也は静雄の背を抱き締めたままだ。そして、たぶん放す気はないのだろう。
くつくつと笑えば、べしべしと背を叩かれる。

「覚えてろよシズちゃん」
「…忘れねぇから恨み言でもなんでも勝手に言っとけ」
「最悪。余裕なシズちゃんってすっごく最悪だ」
「余裕のない手前はかわいいけどな」
「…臨也さんは男なのでかわいいって言われても嬉しくありません」
「愛してるぞ」

…ああもうホント最悪。
そう呟く臨也に、静雄は心の底から満足そうに目を細めて。
煩く紡がれ続ける文句を嬌声に変えてしまおうと、手を忍ばせた。












※罠を張った人と嵌った人のはなし。

カリ・ユガは我慢できずに先に手を出しちゃって拗れた方で、こっちは手を出さずに最良のタイミングまで待ち続けてうまく丸ごと手に入れられた方の話。