餌付けしてみました
※欠食児童を拾った臨也さん。










折原臨也はとても困っていた。

「…なあんでシズちゃんが落ちてんのかな」

臨也の住処のひとつ、事務所にしているマンションの廊下。
呟く彼の目の前に、天敵であるはずの金髪のバーテンダーが文字通り落ちていた。
行き倒れという言葉がしっくり来る風情に、近寄るべきか否か考える。
お互い心底相手を嫌い合っている間柄だ。見捨てたところで相手から文句は出ないだろう。
そこまでわかっているのに、臨也は困っていた。

「死んではいないみたいだけどさあ…」

呟きに、ぐうと返事(?)が返る。
先程からそこそこ離れているはずの自分にすら届く盛大な音。それが静雄の腹が鳴る音であるのは明白で。
…今時空腹で倒れるとか、どんな生活してんのさコイツ。臨也は呆れてため息をついた。

「おーい、シズちゃーん。そんなとこで倒れてると俺、中に入れないんですけどー」

声をかけてみるが、起きる気配はない。
ちょうどドアに背を向ける形で横たわる静雄はものすごく出入りの邪魔だった。

「ちっ、仕方ないか」

あまり近寄りたくはないがこのままというわけにもいくまい。…なにしろ、しょっちゅうムシャクシャするとかいう訳のわからない理由で殴りこんでくる相手がいるせいでご近所様から白い目で見られているのだ。できれば静雄を発見したのは自分が最初の一人だと良いが、と思いつつ臨也は行動を起こした。
ぐいぐいと気を失っているらしい静雄を押しやり、さっさとドアを開ける。
それから面倒だが、空腹で倒れた天敵を引き摺って玄関の中に押し込む。

「…重」

臨也は非力と言うわけではないが、成人男子…しかもムカつくことに自分よりデカイ…を軽々運べるような怪力の持ち主ではない。
よって、四苦八苦しながらリビングへ続く廊下へと相手を転がすことになった。

「ああもう、覚えてろよ」

荒くなった呼吸を整えつつ、唸る。
迷惑を被った礼は必ずしてやると心に誓い、臨也は静雄を放ったまま自身は遅い夕食を摂るためにキッチンへと向かった。










「あれ、起きたんだ?」

ふと視線を感じて臨也が顔を上げると、いつの間に目が覚めたのか静雄が自分を見ていた。
襲ってくるでもなく物を投げるでもなくただ大人しく佇む姿に、臨也はふむと考え口を開く。

「もう少しでできるけど、シズちゃんも食べる?」

戸惑うような視線。だが、お腹は正直だった。
ぐう。とはっきり聞こえた音に、臨也は声を立てて笑う。

「了解。じゃ、もうちょっと待っててね」

うろうろ視線を泳がせたまま、それでも結局静雄が頷いたのを確認し。
ばつの悪そうな顔をする天敵の姿はなかなか面白い見物だ。
そう楽しげに今度は声を立てずに笑って、鼻歌交じりで臨也は食事の支度に戻った。





「…うまい」
一口含んでそう呟き、その後静雄は猛然と…食事にこの表現が適切かは知らないがまさにそういう感じだった…取り分けられた料理を制覇していく。
どれだけ空腹だったのか。なんの躊躇もなく出された料理に箸をつけた静雄に、臨也は意外だと思った。

――絶対毒の混入を疑われると思っていたのに…。

皿の上からすごい勢いでなくなっていくので思わず、
「俺のも少し食べる?」
などと聞いてしまう。
無言のまま…口に食べ物が入っているせいだ。意外にちゃんと躾けられているらしい…頷く静雄に、臨也は自分の皿を差し出した。
いいのか?と問う視線に「いいよ」と応じた。こちらは見ているだけでお腹一杯の気分になってしまっている。
結局、その後も臨也は少なめに盛ったチャーハンを時々思い出したように口に運びつつ、静雄観察に大半の時間を費やしてしまうこととなった。



そうして、とくに何事もなく食事が終わり臨也が食器を片付けているとき。
同じように自身の使った食器を手に持った静雄がふと、口を開いた。

「手前、料理うまいんだな」

満足気な声に、臨也は首を傾げて相手を見る。

「別に上手いとは思わないけどね。今日だって買い物行けなかったから冷蔵庫の中身のあり合わせだし」

本日の晩飯は、多めに買っておいたしゃぶしゃぶ用の肉…ちなみに昨日冷しゃぶにして食べた…を使った甜面醤炒め(大盛り)とにんにくの芽と卵を使った中華スープ、あとは海老チャーハン(大盛り)だ。
手早く作りたかったので手軽にできるものをチョイスした。ついでに言えば中華ばかりなのは今日の気分である。
やろうと思えば別に誰にでもできるだろうと、臨也は興味なさ気に首を振った。

「いや、腹減ってたのを差し引いてもうまかった」

ありがとな、と聞いたこともない柔らかな声で言われて、臨也は硬直する。
なになんなの。シズちゃんが俺にありがとうって言った?ものすっごく気持ち悪いんですけど!?
見上げた相手の表情は穏やかでしかも微笑まで浮かべている。それがより一層臨也を複雑な気分にさせた。
そもそも臨也が静雄に食事を提供したのは好意からではない。
ただ、そろそろ片付けてしまいたい食材があり、自分の夕食がまだで、そしてたまたまそこに空腹な静雄がいたというだけなのだ。
臨也にしては珍しいほど他意のない行為だったとはいえ、そこに静雄に対する情は一切ない。ただただ純粋に多めの食材を使い切るいい機会だったと言うだけなのだ。

「まあ、シズちゃんはいっつもファーストフードかコンビニばかりだもんね」
「…うるせぇ」

ぽつりと呟きに近い口調で言うが、返って来る文句すら穏やかで怒りを感じられない。
満腹で機嫌のいいライオンさながらの敵意のなさに、臨也は毒気を抜かれてため息をついた。
なにこれホントにシズちゃん?そう思うが、口に出しても返る声がこの調子では気勢すら削がれてしまう。

「自炊したらいいと思うよ」
「めんどくせぇんだよ」
「…そう」

自炊して一部を冷凍しておけば多少は出費を抑えられるだろうに、どうやらその気はないらしい。
臨也も作り置きはしないが、静雄のはただ作るのが面倒だという理由らしいので呆れるしかない。
…それで倒れていれば世話ないだろうに。
臨也は手の中の食器を見てから、もう一度静雄を見た。
ふと思いつくまま口を開く。

「時々でよければ、作ってあげても良いよ」
「良いのか?」
「う、え……あ、うん」

なーんてねそんなことするわけないじゃん。と続けようと思っていた臨也は、それを口にする前に妙に期待した眼差しで見つめられて、その圧力に負けて頷いてしまう。

「じゃあ頼む」

連絡するからと無邪気に言われれば、今更嘘でしたとは言えない。言ったら間違いなく殺される。
見たことないほどに上機嫌で「片付けは手伝う」などとのたまう静雄に、臨也は呆然と先程のやり取りを反芻した。

――えー…俺、ひょっとしてシズちゃんを餌付けしちゃった、とか?

思わぬことで天敵を懐かせてしまったらしい。
意図せぬ予想外の事態に臨也は眉を寄せ考え込むが、すぐに「さっさと来いノミ蟲」と言われて我に返った。

「まあ考えても仕方ないか」

どうせ池袋で出会えば殺し合うのは変わらないんだろうし。
そう思って、臨也は静雄を追ってキッチンへと足を向けた。












※うっかり餌付けされるシズちゃんが書きたかっただけ。空腹の原因はたぶん給料日前だったとかそんな理由。