素直じゃない人

















「いぃざぁあやぁあああ!!」


怒声が池袋の街中に木霊する。
怒声の主――静雄は、見た人間十人中十人が青褪めるか引き攣るかするだろう形相を浮かべて、目の前を走っていく黒尽くめの男に手にしたゴミ箱を放り投げた。
だが、残念なことにそれはあっさり避けられてしまう。
「ははっ、狙いが甘いんじゃないの?」
振り返ってからかう声は軽く、静雄を馬鹿にする響きだ。

「っ…殺す!殺す殺す殺す殺す!ぜってぇ殺す!!」

怨嗟の唸りを上げて、男――折原臨也の背を睨み据えたまま街を走り抜ける。
それは、いつも通りの二人の光景だった。
止める者もいないチェイスは続く。

「こっの、チョロチョロチョロチョロ逃げんじゃねぇぇええ!!!」

がしりと標識を掴み、そのままへし折って。
静雄はそれを振りかぶって、投げた。
投擲の勢いはありえないほどのものだったが、これもまた避けられる。
ひょいっと軽い動作で宙に浮き上がった足が、ビルの壁に突き刺さった標識の上にこれまた軽い動作で乗った。

「あっぶないなぁシズちゃん。当たったらどうするのさ」
「当てようとしてんだよ。素直に当たりやがれ」
「嫌だなぁ。そんなことしたら死んじゃうじゃないか。まあ、化け物のシズちゃんなら死なないかもしれないけどさぁ…。そもそもトラックに轢かれて死なないとか、君ちょっとどころじゃなく異常だよ?分かってるかい?ああ、分かるわけないか。何しろシズちゃんってば、頭の中身も化け物だものねぇ」
「うっぜぇええ!うるせぇ!黙って死にやがれ!!」
「あははっ、口で勝てないからってすぐに暴力に訴えるのは良くないと思うなぁ」

クスクス笑った臨也は、静雄が自分に向かって突進しそのまま振りかぶった拳を振り下ろす直前で、ひょいとそれを避けた。
余裕ぶった表情で、手はコートのポケットに突っ込んだまま。
トンと酷く軽い着地音のあと、臨也はにやりと笑って走り出す。
明らかに静雄をからかって楽しんでいる姿は、静雄を今以上に激昂させるに十分なものだった。

「待ちやがれ!」
「嫌だよ!待ったりしたら殺されそうだ」
「当たり前だ!手前は殺す!」

投げたものはすべて交わされ、直接殴ろうにも捕まえることは難しい。
ああクソムカつく!
そう心中で唸り、静雄は臨也が曲がった角にあった止まれの標識に手を伸ばし――。
臨也の言葉にそれを捻じ切る寸前で手を止めた。

「ねぇシズちゃん!」
「ああ゛!?」
「君、一目惚れってしたことある?」

そう訊いてくる相手。
その言葉に一瞬息を呑んで、静雄はギリッと奥歯を噛み締める。
何が言いたいと睨む先、相手は静雄同様に足を止め、強い視線で彼を見据えていた。
強い、決して静雄の暴力に屈しない瞳。
それと先の問いに、怒りで心の奥に沈められていたものが、ふと顔を出す。


一目惚れならしたことがある。
したから、そいつが自分に関わらないように――傷つけなくてすむように――初対面で殴りかかって、二度と自分に近づかないように仕向けた。
なのに、そいつは逃げなくて。
今、目の前に対峙している。


「手前には関係ねぇだろうが」
「ははっ、まあねぇ」

静雄の低い忌々しげな返答に笑って、臨也はくつくつと喉を鳴らす。
ムカつく。イライラする。相性最悪のこの男が自分の一目惚れの相手であり、いまだ諦め切れない相手のままであることが、酷く静雄を最低な気分にさせていた。
しかし、その一方で、どれだけ暴力をふるって追い払おうとしても真の意味で静雄の側から逃げていかない彼を、静雄はいまだに諦め切れないでいる。
ああ畜生、これが新羅の言うあばたもえくぼってヤツか?などと、若干的外れなことを考えているうち、静雄の中の怒りはじわりと収束に向かう。
それが長年の腐れ縁で分かっているのだろう。
臨也は性格の悪さを具現したような笑みを浮かべたまま、静雄の方へ、僅かに歩を進めた。

「ま、確かに俺には関係ないことだけどさ」
「………」
「俺はしたことあるよ。一目惚れ」

臨也のその言葉に、心臓が、軋む。
そんな静雄の内心を見透かすように、にんまり笑う悪魔のような男。
辛うじて搾り出した声は、平静さなどない掠れたものだった。

「…だったら、どうだって言うんだ」
「んー…特に意味はないよ?ただ、何となく訊いてみたくなっただけ。君みたいな化け物でも一目惚れしたりするのかなぁってさ」
「………」
「ああ、ちなみに、俺、そいつのこと今でも大好きなんだ」
「ッ…そう、かよ」

何でそんなことを言う。まさか、こいつ俺の気持ちなんかとっくに知って、それでこんなことを言ってやがるのか…?
ぐらりと視界が歪んだ気がした。
痛みを訴える胸に無意識に伸びた手が服を握り締める。
その感触を他人事のように感じながら、静雄は視線に力を込めて臨也を睨んだ。

「て、めえが誰を好きだろうが、俺には関係な」

辛うじて吐き出した科白は、最後まで言えなかった。
ぐっと握ったもう片方の手が、何かを潰した気がして、そちらに視線をやって――。

「「あ」」

臨也と二人、同時に間抜けな声を上げる。
静雄の握っていた物は、さっき捻切ろうとしていた標識。無意識にこめた手の力に耐え切れずぽきりと折れたそれは、重力に従う。
向かう先は、偶然にも数歩前で足を止めていた臨也だ。

「っ」

咄嗟に黒いコートに包まれた腕を掴んで、引き寄せる。
静雄とは別な意味で息を呑んだ臨也が唖然とした表情で自分を見上げるのを、ぼんやりと見つめて。
ようやく我に返ったのは、視線が合わさって軽く5秒は経ってからのことだった。

「ッ!!」
ばっと掴んでいた手を離す。そうすれば相手も一歩下がった。
複雑そうに顔を顰め、静雄を見つめたまま目を眇めて。
臨也はわざとらしく首を振って、溜息をつく。
「なぁんで助けるかな?馬鹿だねぇ。あのまま放っておいても君には何の問題もないんじゃないの?」
「…るせぇ」
低く、知るか、と呟く。反論しようにも、行動は完全に無意識だったのだ。
静雄にはどうすることもできない、無意識の行動。それが本心なのだと見透かされたくなくて、睨みつける視線に力を込める。

「…ホント、嫌になるなぁ」

ふう、と息を吐いて。
臨也が一歩踏み出す。
「ッ!!」
触れたのは一瞬だ。
だが、はっきりと感じた想像以上に柔らかい感触は、静雄の思考を停止させるに十分な効果を持っていた。
思考も動きも、呼吸すらも停止させた静雄にクスクスと笑って。
臨也は軽い動作でくるりと背を向け、顔だけ振り返って手を振る。

「じゃあねシズちゃん!ご馳走さま!」

軽やかに走り出した背を呆然と見送り、その姿が彼らを遠巻きにしていた雑踏に紛れてから。
ようやく静雄ははっと我に返った。

「っ…待ちやがれッ!」

今のは何だ!?どういう意味なんだ!?
そう問い質そうにも当人はすでに影さえ見えない。
絶対とっ捕まえて何でキスなんてしやがったのか聞き出してやる!
そう決意して。
静雄は先ほどまでとは違う目的でもって、臨也を追いかけ走り出した。












※両片想いでさらに実は双方とも高校時代に一目惚れしてたんだという話。つまりいつものパターンです…。