雪降る夜の子守唄
※2012クリスマス。『猛獣』設定。

















「これで、全部かな…?」
自分の口から零れた言葉が思った以上に力ないもので、臨也はほぼ無意識に眉を顰めた。
毎年毎年訪れるこの季節はどうにも忙しくていけない。
そう思ってため息を吐き出す。
冬の冷たい空気に吐き出した息が白くなるが、そんなことは思考の外のことで。
重い色の雲で埋められた空を見るとはなしに見ながら、臨也はあー…と小さく呟いた。

「…あとシズちゃんにも買わないとなぁ」

これが一番難しいんだよなぁとさらに深いため息が漏れたのも仕方ないというものだ。
毎年毎年狙ったかのように忙しくなるこの時期だが、今年は輪をかけて忙しかった。毎年、クリスマス前になると臨也は多少付き合いの深い知人などにプレゼントを贈る手配を済ますのだが、今年に限って数週間前から長期の仕事が入って池袋どころか日本を離れる羽目になってしまった。
慌しい日々の合間で少しずつ手配はしていたものの、多忙を極めた日程にすべてを片付けるこなど不可能で。結局それらに片をつけるのに前日である今日まで掛かってしまったのだ。当然、静雄へのプレゼントも用意できていない。

(それもこれも全部師匠が悪い)

そう心の中で悪態を付いたところで、あの真面目なフリで周りを欺く軽薄な男は鼻で笑うだけだろう。
この程度のこともこなせないのかと馬鹿にするように口の端を吊り上げたその顔まで思い浮かべて。怒りがこみ上げてきたのを深呼吸でいなして、臨也はふるふると頭を振る。
別にできないわけではないし、ただ少し厄介な仕事で手が回らなくなっただけだ。俺は別に無能じゃない。
そんなことを考えて、そもそもクリスマスなんて無関係なイベントに関わる羽目になったのは師匠のせいじゃないかと気付いて脱力した。
なんというか、無駄な思考をしてしまった気がする。
そもそも、臨也は別にキリスト教徒でもあるまいし、クリスマスを祝う習慣があるわけではない。だがイベントごとには乗っかっておけという主義の師を持った臨也は、必然そういうことに気を配る性格にならざるを得なかったのだ。
その結果、今年のクリスマスはこんなギリギリまで奔走することになったのだから、すべての元凶はあの確信犯的傍若無人魔王にある。
そう結論付けて、今度会ったら報復してやろうと心に決めて。臨也はこの無意味極まりない思考を完全に停止させた。
そんなことよりも、今は静雄にあげるプレゼントを考える方がよほど重要なのだから。

「でも今から考えて間に合うかなぁ…」

毎年イベントのたびに色々贈っているのだ。さすがにそろそろ被りそう気がしないでもない。
いつもならば時間をかけて検討するから問題ないが、今回のように時間がないとさすがの臨也もすぐにこれならというものは出てきそうになかった。
…そもそもシズちゃんってわりと物に執着しないっていうか、手放さないのって煙草とかサングラスとか弟くんにもらったものとかそんなのだけだし。
頭が痛いなぁ、とぼやいた臨也は、ここで考えていても仕方ないと頭を切り替えて歩き出そうとして――、

「臨也?」

後ろからかかった声に、おやと首を傾げて振り返った。
視線の先、数週間ぶりに見た幼馴染の姿は特に変わりないようだ。
まあ、1ヶ月にも満たない時間で激変するわけないし、と思いながら。そんなことに無意識にほっとしたことにも気付かず、臨也は手を上げて口を開く。

「久しぶりだねシズちゃん。今日はゴミ箱も自販機も標識もなしなんだ?」

いつもの調子での軽口に、けれど静雄は答えなかった。
じっと臨也を見つめて、それからズンズンとこちらへ向って歩いてきて。

「……ええと、シズちゃん?」
ここは一応池袋で、往来で、まだ夕方で人がいっぱいなんだけど?

周りの人間の視線も気にせず、自分を思い切り抱きしめた男に。
臨也はどう反応すればいいのか分からず、ただ困惑する。
ぎゅうぎゅう締め付けてくる腕は絞め殺す気なのかと問いたいほどキツイ。
一体なんだというのだ。というか、周りの視線がすごく痛いんだけど。人ごみの中でそこだけぽっかり空いた空間がすごくすごく嫌なんですけど。
遠巻きに観察する野次馬の視線に、ああもうこれ後でどうフォローすればいいんだろうねぇなどとため息をつきながら。それでも臨也が無言のままの相手に暫くされるがままに任せたのは、逃げることが不可能だからというのが大きいが、何よりも幼馴染の行動に意味があると考えたからだ。
そうでなければ、とっくに迷わずナイフの1本や2本突き刺そうとしている。
たぶん、時間すれば一分にも満たないだろう時間。それを酷く長く感じながら大人しく次の行動を待っていれば、耳元に聞きなれた低い声が落とされた。

「まず、ただいまくらい言え」
「………」
あー、そういうことですか。
どうやら、数週間――厳密には2週間と5日だ――の不在はこの幼馴染にとって寂しいものであったらしい。
それをその言葉で察してしまって、臨也は困ったように小さく笑った。
そういえば静雄と再会してから今まで、この時期に仕事でいなくなることはなかった。季節柄街の雰囲気は家族やら恋人やらを意識させるものになっていることだし、彼が寂しさを感じてしまうのも仕方ないのかもしれない。
自身にそういう感覚がない臨也にとってみれば思い至りもしないことで、それを少し申し訳なく思う。

「ごめんね、シズちゃん」

小さく囁くように謝罪を口にすれば、ぎゅうっと強まる腕の力。
普段なら痛いと文句のひとつも言っているだろう強さにも、眉を顰めるだけに留めた。
寂しがりの彼を放っておいたのだ。これくらいは甘んじて受けよう。

「ただいま」
「…おかえり」

そう言葉を交わして、そうして、そこでようやく安堵したのか静雄が腕の拘束を緩める。
そんな行動が妙に可愛く思えて、ああやっぱり好きだなぁと再確認して。臨也はくっと喉を鳴らして笑った。

「相変わらず寂しがりだねぇシズちゃんは」
「……うっせぇぞ」
「まあそんなところも嫌いじゃないけどね?」
「黙れ喋るな」
ギロリと睨まれたところで、耳を真っ赤にしていては威力などないに等しい。
「ははっ、でもどうするの?こんなところで熱い抱擁なんてかましてくれちゃうからすっかり注目の的じゃないか」
「あ?」
一転してきょとんとした顔をする静雄。
「え?まさか気付いてなかったの?」
「…………」

指摘されて初めてきょろきょろと辺りを見回す辺り、どうやら静雄は本気で状況を理解していなかったらしい。
ちょっとした人垣ができているこの状況に気付かないとはなかなか恐れ入る。
と、ようやく現状を把握して、静雄が眉間に皺を寄せた。
だが、腕は解かれない。
それどころかまるで誰にも見せないと言わんばかりにより深く抱き込まれてしまう。
「シズちゃん?」
自分を隠すように覆い被さる彼が何を考えているのか。
何となく読めなくはないが、それが予想通りのものならなんとも面映い。
見てるんじゃねぇとばかりにじろりと周囲を周囲を睨みつけ威嚇する静雄に、そそくさと人垣が散っていくのが足音で分かるが、完全に腕に囲われた状態では実際に目で見て確認するのは困難だった。
「もう少しこうされてろ」
「…ん」
囁かれる言葉に素直に首を縦に振る。…今、多分自分の顔は真っ赤で、人に見せられるような状態ではないだろうし。
剥き出しの独占欲を見せ付けられた野次馬たちがこの後どんな噂を流すか考えるとすごく頭が痛いのだが、それでも今の臨也には静雄にされるがまま、大人しく彼の腕に収まるという選択肢しかない。
見せたくないならこんなことしなきゃいいじゃないか。そう思わなくもないが、それについては寂しがりな彼を一人放っておいた自分が悪いと目を瞑ることにする。
「ね、シズちゃん今日はもう上がり?」
「ああ」
さっきの静雄同様に囁き声で問えば、頷きが返ってきた。
それに、「なら一緒に帰ろう」と提案すれば、返ってくるのは予想通りの嬉しそうな声で。
満足した臨也だったが、そこでふと重大なことを思い出して反射的にぱっと顔を上げてしまった。

「どうした?」
「…ん、いやちょっと重要なことを思い出してさ」
「重要なこと?」

大の男の癖にこてんと首を傾げる姿が妙に似合っている幼馴染の顔を見つめて、黒ずくめの情報屋は困ったように笑って見せる。
いくら予想外の事態が起きて気が動転したからって忘れるとか失態だ、とか。情報屋の癖に必要なときに必要な情報を仕入れられてないとか怠慢だ、とか。そんなことを脳内で考えつつ、ふるふると首を振る。
平和島静雄へのクリスマスプレゼント。
今は、その現在最重要にして最大の難関をうっかり忘れてしまった自分に呆れるしかない。

「ねぇ、シズちゃん」
「あ?」
「プレゼント、何か欲しいものあるかい?」
「…欲しいもの?」

唐突な問いかけの意味が分からなかったのか。静雄は何度か目を瞬いて、それからなぜか周囲に首を巡らせて。ああ、と得心した声を上げた。

「クリスマスプレゼントか」
「それ以外何があるの」
「いや、まあそうだけどよ…手前が目の前にいたもんだからもうその辺は頭から飛んでた」
「…そうかい」

喜ぶべきなんだろうが、何と言うか複雑だ。まさかこの男、一度にひとつのことしか処理できないなんてことないだろうな。
そんな失礼なことを頭に浮かべたことなど露さえ感じさせず、臨也は話を逸らすように「で、何か欲しいものないの?」と訊く。
「いきなり言われてもな」
「まあそうだよね」
俺だっていきなり何か欲しいものあるかなんて訊かれても困るし。
そう口にすれば、だよなぁと返される。
同時に、静雄はゆっくりと腕を解いて臨也を開放し、頬を掻いて周囲を見回した。
ちらほら視線を感じないでもないが、少なくとも人垣は完全になくなっている。
そのことにほっとした臨也は、顔が見やすい位置まで少しだけ静雄と距離を開けて、改めて彼を見上げた。

「しかし、手前がそんなこと聞いてくんの初めてじゃねぇか?」
「まあね…毎年色々なものあげてるけど、今年は忙しすぎてまだ買えてなくてさ。本当はこういうのは気持ちが一番大事だから本人に聞くより自分でちゃんと選んであげたいんだけどさぁ…さすがに今からじゃすぐには選べそうにないし」
何かない?と三度問う臨也に、静雄は暫くの間臨也の顔を見つめたまま思案するような表情を浮かべた。
「何でもいいよ?あ、でも俺があげられる範囲のものでお願い」
無理難題をふっかけられても困るのでそれだけは告げて。
考え込む静雄を待つことしばし。

「………歌」

ぽつりと呟かれた言葉は、予想もしないものだった。
「え?」
「だから、手前の歌」
「……………」
「なんだよ、ダメなのかよ?…何でもいいっていったじゃねぇか」
「え、あ…いや…ダメじゃないけど…」
ダメではない。別にそれが静雄の望みなら構わない。
けれど。
「…そんなので、いいの?」
「つーか、それがいい」
「………」
「手前の歌なんか、よっぽどのことがねぇ限り独り占めなんかできないだろうが」
「まあ…それはそうだけど」

本当にそんなものでいいのだろうか。と、そう思わずにはいられない。
臨也の歌う歌は、厳密に言えば少し歌とは違う意味を持つ。
だから、よほどのことがない限り歌わないし、歌いたいとも思わない。
本人がそんなふうに思っているものが静雄にとって価値があるのか分からないし、それだけに本当にそんなものでいいのかと悩んでしまう。

「…どんな歌でもいいの?」
「おう。言っといてなんだけどよ、俺は歌なんかあんまりよく知らねぇし、手前の好きなのでいい」
「ん、分かった」

表情を見る限りどうやら撤回されることはなさそうだと判断して。本人がいいならいいか、と無駄な思考は放棄する。
静雄が好むような歌をいくつか頭の中でピックアップして、どれがいいかなぁと考えるのは、まるでいつもプレゼントを選ぶ時のようで悪くない。
臨也は静雄に何かを贈るという行為が好きなのだ。相手のことを考えて、相手が喜んでくれそうなものを探すのは想像の段階だけでも楽しいものなのだと、臨也は静雄と過ごすようになって初めて知った。年々選ぶのが難しくなって頭を悩ますけれど、それすらも楽しいと思えるのだから、

――結局、俺の人生ってとことんシズちゃん中心なんだよねぇ。

それが嬉しいと思っている時点で、自分は相当末期なのだろうけれど。静雄と過ごす日々のすべてが愛しいのだからそれでいいと臨也は結論付けている。
しかも片想いではなく相手も同じくらい自分だけを想ってくれているのだ。これ以上ないくらい、幸せだ。
その幸せをくれた改めて相手に視線をやれば、彼はちょうど白い息を吐き出しながら、空へと視線を向けたところだった。

「あークソッ、寒いと思ったら雪が降ってきやがった」
「ああ、ホントだ」

ちらちらと灰色の空から降り落ちる白。
それを忌々しげに見上げる寒がりな幼馴染に、臨也は苦笑する。

「ホワイトクリスマスも悪くないかもよ?」
「…俺は寒いのは嫌いだ」
「冬は寒いものだよシズちゃん」

そう言ってみれば、憮然とした表情を見せた彼は空に向って何やら低く唸っている。
どんなに睨んだところで、それで天気が変わるわけでもないのにねぇ。
ふるりと身体を震わせて空を睨み続ける静雄に、苦笑をさらに深くして。
臨也は仕方ないなぁと心の中で呟いた。
滅多にないくらいに柔らかな気持ちが胸を満たしていて、自分自身、今日は気持ちよく歌えそうな気がすることだし。
特別サービスだ。出張帰りで疲れてはいるけれど、今日は彼が望む歌を歌って、思いっきり甘やかしてやろう。
そう決めれば、後は行動するだけだ。
アスファルトに落ちては溶ける白は、じきにうっすらと地面を染めるだろうから。
まずは、そうなる前に早く家に帰ることにしよう。

「シズちゃん」
「なんだ?」

呼べば顔を向けてくる幼馴染は、まだ不機嫌そうに眉を寄せていて。
臨也ははふと息を吐き出した。
腕を静雄に向って少しだけ伸ばして、僅かに首を傾けて、

「早く家に帰ろ?」
言えば、一瞬の後に相手が素直に頷く。
「だな」

伸ばした手に触れる体温。
その、自分より高い温度が理由もなく何だかとても愛しく思えて。
臨也は目を細めて少しだけ口の端に微笑を浮かべて、そっとその指先を握った。












※ある年のクリスマスイブのふたり。


…とりあえず、クリスマスイブに堂々と抱き締めたり手を握ったりしてることに対しては誰も(怖くて)突っ込んでくれなかったらしい。