ある日のおおかみさん
※『おおかみさんのはなし』設定。本編から数年後。とりあえず臨也は高校生。

















「あ、シズちゃんおかえりー」
「おー」

ただいま、と返した俺は、キッチンに立つ臨也を背後から抱きしめた。
元旦に実家に顔を出してさっさと引き上げてきたのはこいつがくると言っていたからだ。
今朝方電話で新年の挨拶をして早々にそう告げられて、なるべく早く帰ると言った俺に。
臨也は「別にいいよ。いつまででも待っててあげる」なんて口にしやがったのだ。
これで早く帰らなきゃ、恋人失格な気がしてくるじゃねぇか。

「ちゃんと挨拶してきた?」
「…あたりまえだろうが」

確認されて何でガキ扱い…と思わないでもないがそこは口に出さない。
うっかり口喧嘩にでもなって機嫌を損ねて帰られたら困るからな。

「手前もちゃんと挨拶してきたんだろうな」
「それこそ当たり前でしょ。って言ってもうちの親今いないけどさ」
電話でちゃんと挨拶しましたーと答えた臨也は、淹れ終えたコーヒーをカップに注いだ。
二つあるマグカップのうち、ひとつにはミルクをたっぷりと。
自分用であることが明白なそれを見下ろしつつ、俺は臨也の首筋に顔を埋める。

甘い匂いだ。

そう思って、目を閉じる。
そんな俺の行動に文句を言うでもなく臨也は小さく笑っただけだった。
しばらくそのまま抱きしめていたが、あーやべぇ…と、そう思って名残惜しいが顔を離す。

心のどこかをざわつかせるこいつの匂いが、俺は好きだ。
好きだが。正直、好きだからこそ時々自制が効かなくなりそうで困る。
湧き上がる衝動の正体くらいそれこそ臨也と付き合う前から知っていたし、抑えることにも慣れてはいたが、それでも、この甘い匂いを嗅ぐたびこれを貪りたいという想いが頭を過ぎるのだけは止められない。
噛み付いて、その肌に自分の跡を残したいと本能が訴えるのを深呼吸して宥めて。
俺は臨也を抱きしめていた腕を解いた。

「はい、これシズちゃんの」
「ありがとよ」

渡されるカップを受け取る。
こっちの我慢を知ってか知らずか。
臨也は大体いつも酷く無防備だ。
自分を抱きしめている相手――つまりが俺が、こいつを今すぐ押し倒してしまいたいと思っていることなど考えてもいないのかもしれない。
…実は意識されてないんじゃないよな…?とか不安になってしまうほど、それほど、臨也は俺に対して無防備だった。

「…なに?」
「なんでもねぇよ」

言えるわけがない。
――臨也が高校を卒業するまでは最後までは手を出さない。
どちらにせよ、付き合うことになった時に自分がそう決めたのだから、覆すようなことは大人としてできなかった。
ついでに臨也のコーヒーカップ…こちらはブラックだ…を持ってローテーブルまで運んで、大人しくついてきた臨也が何故か座らずにいるのに首を傾げつつ先に座る。
俺の疑問の答えが示されたのはその僅か数秒後。
その時点で気付いて牽制すべきだったと思ったって、後の祭りというやつで。
ちゃっかり俺の膝の上を占領した臨也は、カップ片手に俺を座椅子代わりにしてくれていた。

「…おい」
「いいじゃん別に」

何がいいんだ、よくねぇよ。てか、俺の理性を試してんのか手前は。
せっかくさっきは我慢できたのに、すでにまたぐらりと揺らぐ自分の理性が情けない。
くそっと内心舌打ちして、とりあえず気を逸らそうとテレビでもつけるかと手を伸ばす――が、それも臨也に阻止された。
「手前なぁ」
溜息しか出てこない。

「シズちゃんの膝は昔から俺専用なんだからいいじゃん」

いや、別にお前専用って訳じゃねぇし。まあ、専用がいいってんならこれからはそうするけどよ。
案外独占欲の強いこいつのことだから、俺のこと全部自分のだと思ってんだろうなぁと苦笑するしかない。まあ、間違ってはいないから否定はできねぇしな。
それに、当然のことだとばかりに膝を占拠する臨也も可愛いと実に末期的なことを思う。
ホントこういうとこ、図体でかくなってもガキのまんまって言うか…。
あ。

「…やべ、お年玉忘れてた」

ガキという単語でようやく思い出したそれに、俺は財布の中身を思い出す。
そして。すぐに、自分の状況に項垂れるはめになった。
財布の中身は…確か千円あったかないかくらいだ。
…さすがに高校生にやる金額じゃない。

「別にいいよ。シズちゃんお金ないの分かってるし」
「…悪ぃ」

それでもなんかしてやりたいよな、と年長者の思考で思う俺に気付いたのか。
臨也は身体の向きをくるりと変えて、向かい合う体勢にして。小さく首を傾げて考えるような仕草をして、それから、言った。

「ねぇ、シズちゃんお年玉の代わりに我がまま言っていい?」
「あ?…ああ、俺にできることならな」

頷いて臨也の言葉を待つ俺に。
臨也は何故か、こつんと額を合わせてくる。

「俺はシズちゃんが好き」
「…?…俺も好きだぞ?」
「ホントはもっといっぱい一緒にいたい」
「俺もだ」

本当に。できればずっと一緒にいたいくらいだ。
そう思って頷く俺に、臨也は「シズちゃん鈍いなぁ」と呟いた。
心外だと抗議するより先。

「…今日はもう俺だけ見てよ」

そう囁くように甘やかな声で強請られれば、文句は容易く喉の奥に封じられてしまう。
少しだけ離された顔には誘いかけるような微笑み。
煽られているのだと分かってはいるが、これで誘いに乗らないようじゃ男じゃねぇよな。
そう思って、最後までしなきゃ誓いは破ってねぇと言い訳するのもいつものこと。

「キスして抱きしめて甘やかして」
「おう、任せとけ」

むしろ本望というか嬉しさしか覚えない我がままに。
俺はまだまだどこか幼い恋人を抱きしめて、その唇に今年最初のキスを贈った。












※我慢してるのかしてないのか微妙なおおかみさん。正月だろうと何だろうと彼らはいつも通りいちゃいちゃしてます。